1761年のサロン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/22 15:16 UTC 版)
「ジャン=バティスト・デエ」の記事における「1761年のサロン」の解説
1761年にはデエはまだ王立絵画彫刻アカデミー助教授でしかなかった。だがディドロは同年のサロン批評の中で、デエを17世紀フランス派の芸術家たち―シャルル・ルブランとウスタシュ・ル・シュウール―の伝統に連なるもっとも重要な画家とみなし称賛している。この時のサロンでは聖アンドレ教会のための連作の最後の作品《聖アンドレの鞭打ち》が出品された。この宗教画はすでに描かれていた2点の作品とともに、1761年12月にルーアンの聖アンドレ教会に奉納された。
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