黄興とは? わかりやすく解説

こう‐こう〔クワウ‐〕【黄興】


ホアン‐シン【黄興】

読み方:ほあんしん

こうこう(黄興)


黄興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/30 14:38 UTC 版)

黄 興(こう こう、1874年 - 1916年)は、清末民初中国人革命家。革命派の秘密結社・華興会のリーダー[1]孫文とともに「民国革命の双璧」と称され、あるいはまた、孫文・黄興・章炳麟の3人を称して「革命三尊」と呼ぶことがある[1]。本名は「軫(しん)」であったが、革命運動に身を投じてからは「興」を名乗った[1]克強[1]


注釈

  1. ^ 「拒俄」の中心は、中国人留学生の多い東京と、中国大陸(清国)内では上海であった。
  2. ^ 当時の日本政府は雲南省での挙兵を「雲南事件」と呼び、在清公館が関心を持って事態の推移を外務省に逐次報告していた記録が残されている。
    その中には河口での挙兵がフランス(インドシナ)当局の黙認ないし支援の下に行われた、との清国での新聞報道が引用されており、日本政府は革命派の蜂起にフランスが介入する野心を抱いている事を警戒していた事が伺われる。
    清国時報 第四十二号/第一 時論
    政務局 明治41年07月31日
    『清国時報第四十二号 第一時論 (一)雲南事件ニ関スル仏国ノ要求 新聞報(六月二十九日)「雲南辺事ニ付キ清、佛最近ノ交渉ヲ論ス」ト題シ先ツ佛国人カ暗ニ匪党ヲ助ケタル事実ヲ陳シテ曰ク 河口ノ役我河口副監督ヲ害セルハ三点会首領関●臣ナリ関ハ前キニ安南ノ河口ニ伏匿シ雲南、広西官吏ハ屡々彼ノ引渡ヲ求メタルモ仏国人ハ之ヲ承諾セサリキ河口陥ルノ後衆匪彼ヲ擁シテ雲貴大都督トナシ旗ヲ作リ印ヲ刻シ翌日隊ヲ成シテ保勝ヨリ鉄橋ヲ過キリ銃器ヲ運送セリ固ヨリ日中ノコトナレハ仏兵ノ観ルモノ堵ノ如クナリシモ之ヲ止ムルモノハ一人モナカリキ蒙自駐在領事ハ此時方ニ安南ヨリ蒙自ニ帰ルノ際ナリシカ領事ハ匪党ニ旅券ヲ下付シ公然汽車ニ乗リテ~』
  3. ^ 日本や東南アジアを頻繁に移動していた黄興の動向には、日本政府も関心を払っており、日本に潜伏中との記録が残されている。
    陸軍省大日記 清国駐屯軍司令官 中村愛三
    明治41年08月28日
    『砲密第二七四号 軍事密第三一四号 密受第四三一号 秘三発第六六号 陸軍大臣子爵 寺内正毅 清国駐屯軍報告第三十一号
    1.革命黨日本ヘ渡来ス 外務部ハ去ル五日駐日清國公使ヨリ左ノ密電ヲ受ケタリ 日ク近来雲南省ニ於ケル革命軍ノ統領黄興ナル者(湖南人)ハ河口ニ於テ事敗レテヨリ南洋ニ逃レ更ニ日本ヘ渡リ昨日東京ニ到着シ目下牛込區附近ニ居ル由ナルモ其行動最モ秘密ニシテ踪蹟ヲ探知スル能ハサルガ●●聞クトコロニ依レハ同區二百八番地民報社内ニ在リテ再擧ヲ企圖シ居ルト云フ』

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