鳩ヶ谷藩とは? わかりやすく解説

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鳩ヶ谷藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/10 05:27 UTC 版)

鳩ヶ谷藩(はとがやはん)は、武蔵国足立郡鳩ヶ谷(現在の埼玉県川口市鳩ヶ谷地区)を居所として、関ヶ原の戦いの後から江戸時代初期まで存在した


注釈

  1. ^ 「このとし関東御入国ののち武蔵国足立郡鳩谷等にをいて采地五千石をたまふ」[6]。阿部正勝の封地が鳩ヶ谷であることは「御知行割之記」(内閣文庫蔵)にも記載がある[8]
  2. ^ 「天正十八年三千石以上分限帳」(内閣文庫蔵「天正慶長諸大名御旗本分限帳」所収)や、福山阿部家(阿部正勝子孫の嫡流は備後福山藩主として幕末を迎える)の編纂した『阿部家御伝記』が「武州市原」とする[8]
  3. ^ 武徳編年集成[9]では「伊豆市原郷」、『改正三河後風土記[10]では「同〔伊豆〕市原」。
  4. ^ 船戸大学の家は戦国期に地侍であったとみられる旧家で[16]、子孫は鳩ヶ谷宿の名主・本陣を務めた[2][12]。この鳩ヶ谷宿本陣船戸家を本家として、里村や沼田(現在の東京都足立区江北周辺)などに一族を分出しており、それぞれ名主や大百姓となった[17][18](分家は名字を「船津」「舩津」などとして使い分けた[17])。谷文晁門下の絵師で幕末に活躍した舩津文渕は、沼田舩津家の当主である[17]
  5. ^ 「慶長五年東照宮奥州御陣の時此道を通御あらせられ遂に諸国御手に属せしによりて吉例なりとて日光御造営の後宿亭定められしと云」[1]
  6. ^ なお、武蔵国の一宮には諸説あるものの、氷川神社(埼玉県さいたま市大宮区)、小野神社(東京都府中市)ともに鳩ケ谷には存在しない。
  7. ^ 同表は「藩名は所在地で示した」としつつ、「陣屋のあった郡」のある国で配列しているため、たとえば高知新田藩は上総国(武射郡)の藩として示されている[26]

出典

  1. ^ a b c 『新編武蔵風土記稿』巻之一百三十九・足立郡之五・舎人領鳩ヶ谷宿、内務省地理局版『新編武蔵風土記稿 巻之140…』115-116/121コマ
  2. ^ a b 鳩谷郷(中世)”. 角川地名大辞典(旧地名). 2023年1月11日閲覧。
  3. ^ a b 日光御成道観光ルートマップ (pdf)”. 川口市経済部産業振興課. 2022年5月15日閲覧。
  4. ^ 里村(中世)”. 角川地名大辞典(旧地名). 2023年1月11日閲覧。
  5. ^ 『日本歴史地名大系 埼玉県の地名』, p. 183.
  6. ^ a b c d 『寛政重修諸家譜』巻第六百三十三、国民図書版『寛政重修諸家譜 第四輯』p.345
  7. ^ a b c 鳩谷藩(近世)”. 角川地名大辞典(旧地名). 2022年5月15日閲覧。
  8. ^ a b c d e f 『日本歴史地名大系 埼玉県の地名』, p. 182.
  9. ^ 武徳編年集成』巻之四十、国文研データセット 当該部分
  10. ^ 改正三河後風土記』巻第二十八、『改正三河後風土記 下』(金松堂、1886年)p.1093
  11. ^ a b c d e f g h 『寛政重修諸家譜』巻第六百三十三、国民図書版『寛政重修諸家譜 第四輯』p.346
  12. ^ a b c 鳩谷宿(近世)”. 角川地名大辞典(旧地名). 2023年1月11日閲覧。
  13. ^ 御由緒”. 鳩ヶ谷総鎮守氷川神社. 2023年1月12日閲覧。
  14. ^ a b 『寛政重修諸家譜』巻第六百三十三、国民図書版『寛政重修諸家譜 第四輯』p.347
  15. ^ 鳩谷町(近世)”. 角川地名大辞典(旧地名). 2023年1月11日閲覧。
  16. ^ 加藤光男「『新編武蔵風土記稿』に記載される戦国時代の地侍たちとその子孫たちの動向(2)」『埼玉県立史跡の博物館紀要』第12号、2019年、 117頁、 CRID 1523106605606824576
  17. ^ a b c 伊澤隆男 2016a, p. 2.
  18. ^ 伊澤隆男 2016b, p. 1.
  19. ^ 阿部正次の文書”. 武蔵鳩ヶ谷藩の陣屋から (2010年5月20日). 2023年1月12日閲覧。
  20. ^ a b c d e f g h 鹿沼藩(近世)”. 角川地名大辞典(旧地名). 2022年5月15日閲覧。
  21. ^ a b c d 鹿沼宿(近世)”. 角川地名大辞典(旧地名). 2023年1月11日閲覧。
  22. ^ 『角川新版日本史辞典』, p. 1303.
  23. ^ 『角川新版日本史辞典』, p. 1296.
  24. ^ 埼玉県立久喜図書館(回答). “阿部正次(江戸時代初期の岩槻藩主)が鹿沼から大多喜に転封したとの記述がある資料(史料)はあるか。”. レファレンス協同データベース. 2022年5月15日閲覧。
  25. ^ 『日本史広辞典』, p. 巻末80.
  26. ^ 『日本史広辞典』, p. 巻末83.


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