高杉晋作との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 14:26 UTC 版)
「厳島神社 (下関市)」の記事における「高杉晋作との関係」の解説
高杉晋作は、1866年(慶応2年)の四境戦争(長州征伐)に挑むに当たり、当神社において戦勝祈願を行ったといわれている。小倉口の戦いでは、長州軍は奇兵隊・報国隊の2隊を先鋒とし戦い、同年8月1日(1866年8月29日)、幕軍総帥小笠原壱岐守が小倉城を脱出した。その際、小倉藩は自ら城に火を放って敗走したが、攻め入った長州軍は余燼の中から、この太鼓を持ち帰り、高杉晋作が戦勝祈願を行った嚴島神社に大御神へのお礼として奉納したという。この太鼓は現在も本神社にて見ることが出来る。
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