馬淵東一とは? わかりやすく解説

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馬淵東一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/26 13:24 UTC 版)

馬淵東一
人物情報
生誕 (1909-01-06) 1909年1月6日
日本千葉県
死没 1988年1月8日(1988-01-08)(79歳)
出身校 台北帝国大学
学問
研究機関 台北帝国大学琉球大学南山大学
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馬淵東一(右上)と台湾原住民ヤミ族の子供たち。1929年
台湾蘭嶼の警察署前にて。中列右でタオ族の少年と鹿野忠雄と肩を組む馬淵。前列左端に宮本延人、中央の着物姿は移川子之蔵。1929年

馬淵 東一(まぶち とういち、1909年1月6日[1] - 1988年1月8日[1])は、日本の民族学者、社会人類学者。日本における東南アジア民族学の開拓者であり[2]、社会人類学の基礎を築いた人物である[2]

経歴

1909年、千葉県四街道市生まれ[1]。1931年(昭和6年)に台北帝国大学文学部史学科を卒業[1]、1943年台北帝国大学助教授[1]台湾先住民の研究を行った。戦後日本に帰国し[1]、1950年立正大学講師[1]、1951年東海大学教授[1]、東洋大学教授[1]、1953年東京都立大学教授[1]。1972年定年退職[1]琉球大学教授[1]。1973年東京都立大学名誉教授[1]。1975年南山大学教授、1977年定年退職[1]

台湾の先住民のブヌン族の社会構造や宗教、さらには南太平洋沖縄の文化も研究し、数多くの人類学民俗学に関する著作を著した。没後は台湾台東県池上郷に葬られた。

著作

  • 『台湾高砂族系統所属の研究』(1935年)- 移川子之蔵宮本延人との共著
  • 『高砂族の分類:学史的回顧』(1953年)
  • 『高砂族に関する社会人類学』(1954年)
  • 『高砂族の移動および 第1部』(1954年)
  • 『慣習土地法と囯有地擬制』(1964年)
  • 『インドネシアの社会構造』(1969年)- 岸幸一との共著
  • 『西南太平洋民族硏究』(1971年)
  • 『台湾の民族と文化』(1987年)- 宮本延人、瀬川孝吉との共著

参考

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 小川正恭「馬淵東一教授の略歴と業績(馬淵東一教授を悼む)」『民俗学研究』第53巻第3号、日本民族学会、1988年、340-345頁、doi:10.14890/minkennewseries.53.3_340 
  2. ^ a b 馬淵 東一 アーカイブ”. nmearch.minpaku.ac.jp. 国立民族学博物館. 2023年5月26日閲覧。



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