霜の墓論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/11 21:17 UTC 版)
霜の墓抱き起されしとき見たり (石田波郷『惜命』) この句はいわゆる「霜の墓論争」を引き起こした。それは、「霜の墓」が抱き起こされたと読むのか、作者は療養中の波郷であるから当然作者が抱き起されたと読むのか、の論争であった。森澄雄は最初「霜の墓が抱き起された」(『寒雷』1948年12月号)と読み、山本健吉の「切れ」の指摘を受けて、作者の境涯を知らなくても、作者が「抱き起されたとき」と考えを改めている。この論争については、松田ひろむが「名句入門-石田波郷の場合-霜の墓と境涯俳句」で詳細に検討している。また長谷川櫂も、この句の切れについて論じている。 筑紫磐井は、この句は「霜の馬車抱起されて眺めをり」(『馬酔木』1948年4月号)の句の推敲作であって、打坐即刻の句ではないとするが、それは句形の類似からの発想で、推敲作であるという根拠は示されていない。
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