霊鷲寺 (小郡市)とは? わかりやすく解説

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霊鷲寺 (小郡市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/05 05:53 UTC 版)

霊鷲寺
所在地 福岡県小郡市松崎
位置 北緯33度24分06.2秒 東経130度35分08.3秒 / 北緯33.401722度 東経130.585639度 / 33.401722; 130.585639座標: 北緯33度24分06.2秒 東経130度35分08.3秒 / 北緯33.401722度 東経130.585639度 / 33.401722; 130.585639
山号 瑞松山
宗派 臨済宗南禅寺派
創建年 乾元元年(1302年
開山 雲山元怡
開基 西牟田永家(弥次郎)
札所等 筑後三十三観音霊場第7番
法人番号 5290005010548
霊鷲寺
霊鷲寺 (福岡県)
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霊鷲寺(りょうじゅうじ[1])は、福岡県小郡市松崎にある臨済宗南禅寺派寺院。山号は瑞松山。筑後三十三観音霊場第7番札所末寺寛元寺(福岡市筑後市)がある。

歴史

乾元元年(1302年)に西牟田永家(弥次郎)を開基、鎌倉建長寺の大覚の法嗣である雲山元怡を開山として西牟田(現在の筑後市)に創建。

檀那西牟田氏の没落で衰退し、柳川藩主の田中吉政により寺領600石を4石に減石される。

有馬豊範久留米藩より分知を受けて松崎藩主となると、その菩提寺として松崎に移転。有馬豊範は貞享元年(1664年)に改易されるが、その後も松崎に法灯を伝える。

安永7年(1778年)に久留米藩第7代目藩主有馬頼徸より筑後三十三観音第7番札所とされる。

参考文献

  • 『日本歴史地名大系第41巻・福岡県の地名』(平凡社2004年

脚注




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