門別町との合併の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 05:00 UTC 版)
「日高町 (北海道)」の記事における「門別町との合併の経緯」の解説
2002年、山間部の日高町は自治体経営が深刻化していたため、郡内の平取町、門別町との3町で合併研究会を発足させた。後に協議会に発展し、2003年までにさらに隣接する穂別町、鵡川町が加わる。しかし、平取町が域内最大人口の門別町との合併に難色を示し、この態度に鵡川町、穂別町が協議会を離脱。その後なおも平取町は門別町との合併に否定的だったため、日高町は意思決定のため2004年8月に住民投票を実施し、町民の6割が3町合併を望む(1/4は平取町との2町合併を希望)、という結論を得た。しかし直後の9月に平取町は単独町政を継続するとして協議会を離脱してしまう。止むなく平取町を除いた飛び地となる2町での合併検討に入り、翌2005年に再び住民投票を実施、日高町民の7割が合併賛成という意志を示した。当初に平取町役場を新町役場とする案が頓挫し、新町役場を門別町に、新町名を「日高町」とすることが決まり、2005年3月に2町で合併を調印、翌年新町制施行が決定した。合併後の町域は日高地区(旧日高町域)が門別地区(旧門別町域)よりも広い。
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