長野オリンピック前まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 09:57 UTC 版)
6歳でスケートを始める。小学6年生で全日本ジュニア選手権に初出場、19位となる。1994年には中学1年生でガルデナスプリング杯で国際大会デビューし、7位となる。1995-1996シーズン、中学3年生で全日本ジュニア選手権4度目の出場にして2位となり初の表彰台に上がる。続く世界ジュニア選手権でも初出場ながら4位に入賞した。翌1996-1997シーズンの両大会でも同成績。全日本選手権では、2度目の出場の高校1年生で全日本女王に輝いた。しかし自身初出場の世界選手権ではSPでのジャンプミスが響いて総合18位に終わり(横谷花絵は23位)、長野オリンピックの日本女子シングル代表枠は、最小の1名のみとなった。1997-1998シーズン、ISUグランプリシリーズのNHK杯では日本女子最高の5位に入る。しかし、全日本選手権でショートプログラム(SP)は首位発進だったが、フリースケーティングでの転倒失敗が響き、優勝した荒川静香に敗れて総合2位に終わり、長野オリンピックと世界選手権の代表選出を逃した。全日本選手権の直前には左座骨を打撲していた。
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