長尾能景塚
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塚の位置(国土地理院地形図閲覧システム2万5千分1地形図名:宮森新) 砺波市頼成新の個人宅にある塚。盛土と五輪塔が残っている。1505年(永正2年)から1506年(永正3年)にかけて、北陸各地の百姓が一斉蜂起し、いわゆる永正の一揆が勃発した。越後長尾勢は永正3年(1506年)9月19日の芹谷の合戦で一向一揆勢と交戦し、長尾能景が討死している。没地について、「塔寺長帳」(永正3年9月26日)では「はすぬまにて生涯(生害)」とあるが、これは遊佐氏の本拠である蓮沼城(小矢部市)へ逃れ自害したことを記しているが誤記の可能性が高い。
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