銕橋
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銕橋(くろがねばし)は、長崎市の中島川に架かる橋。国道324号の一部。 河口から数えて6番目の橋で、「てつばし」の愛称で親しまれている[1]。
- ^ a b c d e 『ながさき自由研究所』長崎市広報広聴課、2013年4月、p. 29
- ^ 浅井建爾『道と路がわかる事典 : 読む・知る・愉しむ』(初版)日本実業出版社、2001年11月10日、221頁。ISBN 4-534-03315-X。
- ^ “鋼橋と鋼材のあゆみ”. 日本鉄鋼連盟ウェブサイト. 一般社団法人日本鉄鋼連盟. 2023年6月11日閲覧。 “くろがね橋 1868年(慶応4年):・日本で最初の鉄橋 ・橋長21.8 mの錬鉄桁橋 ・長崎に建設された”
- ^ 石井研堂「鉄橋の始」『明治事物起原』橋南堂、1908年1月、270頁 。"明治2年、本木昌造氏工事を督し、長崎港浜の町の大橋を架替へて鉄造と為せり。之を本邦鉄橋の始とす。(本木先生小伝)"。 ※明治41年刊。初代
銕橋 を明治2年の建設としている。 - ^ a b c 岡林隆敏(長崎大学名誉教授) (2013年7月). “長崎県の土木遺産 第1回 長崎から始まる日本の橋の技術”. 1万人、土木・建築体験プロジェクト. 長崎県庁土木部建設企画課. 2023年6月11日閲覧。 ※記事個別pdfあり。初出は『DOVOC通信ながさき』No.20、2013年7月(長崎県土木部発行)。
- ^ 成瀬輝男(土木学会鋼構造委員会歴史的鋼橋調査小委員会) 編「「鉄(かね)の橋」の近代史」『鉄の橋百選 : 近代日本のランドマーク』東京堂出版、1994年9月、11頁。ISBN 4-490-20250-4 。"設計は長崎在住のオランダ人フォーゲル、工事の采配をふるったのは官営長崎造船所〔※原文ママ〕の頭取本木昌三〔※原文ママ〕、橋長22 m、幅員6.5 mの1径間の錬鉄製桁橋であった。"。 ※記事個別pdfあり。
銕橋(くろがねばし・通称てつばし 第十五橋)(北緯32度44分40.98秒 東経129度52分35.7秒 / 北緯32.7447167度 東経129.876583度 / 32.7447167; 129.876583 (銕橋(くろがねばし・通称てつばし 第十五橋)))
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「中島川」の記事における「銕橋(くろがねばし・通称てつばし 第十五橋)(北緯32度44分40.98秒 東経129度52分35.7秒 / 北緯32.7447167度 東経129.876583度 / 32.7447167; 129.876583 (銕橋(くろがねばし・通称てつばし 第十五橋)))」の解説
かつては大橋と呼ばれていた。1632年(寛永9年)に当時の長崎奉行竹中采女正(うねめのかみ)重義が木廊橋を架けたのを起源とする。その後洪水による損壊または流失が何度か記録されている。明治元年(1968年)、長崎製鉄所頭取本木昌造によって鉄製の橋へと架け替えられた。昭和6年(1931年)に鉄筋コンクリート橋へ架け替えられ、1990年(平成2年)に再度架け替えられ今に至る。
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