銅像建立と戦地の乾一郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 06:00 UTC 版)
1938年(昭和13年)2月10日、国会議事堂内に、大日本帝国憲法発布五十年を期して、祖父・板垣退助の銅像が建立される。 同年2月、乾一郎は、上海の野戦病院から、恩師のアメリカ人・G・K・リン夫人に書簡を送る。日米開戦前ではあったが、「野戦病院なので返事は来ないだろう」と諦めていたが、3月に返書が届く。 芦屋教会は、乾一郎の出征後、大熊四郎とS・O・トウラクソン(Rev. S.O.Thorlaksson, B.D.)が、臨時措置として諸事を兼務したが、1938年(昭和13年)3月に日本ルーテル神学専門学校を卒業した後輩・北森嘉蔵が、同年4月より牧師となり教会を引き継いだ。1939年(昭和14年)6月5日、戦傷により予備役 後備役、免除の上、召集解除。1939年(昭和14年)6月6日、第一国民兵役に編入された。
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