鉄道車両製造所
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鉄道車両製造所(てつどうしゃりょうせいじょうしょ / 熱田鉄道車両製造所[1][2])は、鉄道庁を辞職した[3]野田益晴が1896年(明治29年)に名古屋で創業した鉄道車両メーカーで、日本の民間企業として初めて蒸気機関車を製造した企業である[4]。
- ^ a b c 「230形蒸気機関車」(交通科学博物館)より。
- ^ 「230形蒸気機関車」(交通科学博物館)では「1900年(明治33年)に熱田鉄道車両製造所が製造した180形蒸気機関車が民間第1号機」とあり、『日本の鉄道車輌史』(p43)では「民間メーカー製作の第一号SLは、正確には汽車製造会社ではなく、1896年に愛知県名古屋市に設立した鉄道車両製造所によるものであった。1900年に製作された180形式(省略)」とある。以上のことから「熱田鉄道車両製造所」と「鉄道車両製造所」は同一の企業であると推察される。
- ^ 明治26年3月27日退官、(井上勝退官の翌日)「叙任辞令」『官報』1893年3月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c d e 『日本の鉄道車輌史』(p43)より。
- ^ 『驀進 - 日本車輌80年のあゆみ』12-13頁
- ^ 汽車製造業 明治29年3月27日 報知新聞『新聞集成明治編年史. 第九卷』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『日本国有鉄道百年史 4』132頁 「第8表 客車の供給工場」による
- ^ 『明治工業史 9 機械編』314頁「第73表」「第74表」による 但しこのリストは国有化されなかった私設鉄道については対象外。また熱田車輌会社貨車11両としているが関連は不明。
- ^ 別府鉄道は国鉄より元関西鉄道2両と元九州鉄道1両の客車の払下げをうけ、海水浴や潮干狩り等の多客期のために1965年まで残していた。
- ^ 「鉄道車輌会社事件」『東京朝日新聞』1901年9月16日(朝日新聞聞蔵2ビジュアル)
- ^ 『新修名古屋市史』第5巻、492-493頁
- ^ 『驀進 - 日本車輌80年のあゆみ』21-22頁
- ^ 「取締役兼支配人田中喬樹はその責任を負ひ、明治34年1月28日辞任するのやむなきに至った」愛知銀行四十六年史
- ^ 『驀進 - 日本車輌80年のあゆみ』424頁
- ^ 交通科学博物館の「230形蒸気機関車」では「1896年(明治29年)に創業」とある。
- ^ 『日本全国諸会社役員録. 明治30年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 臼井茂信『機関車の系譜図』3巻、420頁、金田茂裕『形式別 国鉄の蒸気機関車』1巻、25頁。交通科学博物館の「230形蒸気機関車」や『新修名古屋市史』第5巻、492頁は1904年(明治37年)に解散としている
- ^ 金田茂裕『形式別 国鉄の蒸気機関車』1巻、25頁
- 1 鉄道車両製造所とは
- 2 鉄道車両製造所の概要
- 3 参考文献・出典
- 4 関連文献
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