どうとく‐きょう〔ダウトクキヤウ〕【道徳経】
読み方:どうとくきょう
⇒老子
老子道徳経
(道徳経 から転送)
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老子道徳経(ろうしどうとくきょう) は、中国春秋時代の思想家老子が書いたと伝えられる書。単に『老子』とも『道徳経』(繁体字: 道德經; 簡体字: 道德经; 拼音: Dàodéjīng 発音 )とも表記される。また、老子五千言・五千言とも。『荘子』と並ぶ道家の代表的書物。道教では『道徳真経』ともいう。上篇(道経)と下篇(徳経)に分かれ、あわせて81章から構成される。
注釈
- ^ 「世界」という語には、意識の無限に通じたところがあるが、「天地」には、身体的自己から解脱しきれていない限定観念がある。
- ^ 大がつくと無限の意味が加わる場合がある。(出典:蜂屋邦夫訳『老子』岩波文庫、2008年。P200 注11
- ^ また、古い本では、「建言」に言及している第41章は、現行の第40章(道の動について触れている核心部分)の前に来ている。(出典:蜂屋邦夫訳『老子』岩波文庫、2008年。P193 注1)
- ^ 「建言」による引用はどこまでを指すのかは不確実である(出典『中国古典文学大系4』金谷治訳、平凡社、1973年。P22 注2)。内容からすると、43章くらいまでが名言集であるように見える。42章には、「私もまた、教えの父として、凶暴な者はよい死に方をしない、という諺を語ろう」、と編集者自身のことを記している。吾という語は無為自然と一体となっていない感じがするし、よい死に方という価値観は、無為自然にかなった死に方と表現すべきところであるように見受けられる。
- ^ 大自然の法則は、無言の中にも、たえず人間に真理を教えているとする見解がある。(出典:高橋信次『心の発見 科学編』経済界、1971年。P138)
- ^ こうした天への畏敬は、儒教の時代に天道として発展した。(出典:林田慎之助『タオ=道の思想』講談社現代新書、2002年。P31)
出典
- ^ 蜂屋邦夫『老荘を読む』講談社現代新書、1987年(以下略)。P74
- ^ 『世界の名著4 老子 荘子』小川環樹解説、中央公論社。P14
- ^ a b c 宇野哲人『中国の古代哲学』講談社学術文庫、2003年。P145
- ^ 森三樹三郎『老子・荘子』講談社学術文庫、1994年。P165
- ^ 『世界の名著4 老子 荘子』小川環樹解説、中央公論社。P17
- ^ a b 蜂屋邦夫『老荘を読む』、P114
- ^ 蜂屋邦夫『老荘を読む』、P134
- ^ 蜂屋邦夫『老荘を読む』、P116
- ^ 許抗生『老子・東洋思想の大河』除海訳、地湧社、1993年。P26
- ^ 『中国古典文学大系4 老子』金谷治訳、平凡社、1973年。P3 注1
- ^ 許抗生『老子・東洋思想の大河』除海訳、地湧社、1993年。P31
- ^ 『中国古典文学大系4 老子』金谷治訳、平凡社、1973年。P5 注3
- ^ 宇野哲人『中国の古代哲学』講談社学術文庫、2003年。P132
- ^ a b 野村茂夫『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 老子・荘子』角川ソフィア文庫、2004年(以下略)。P45
- ^ 野村茂夫『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 老子・荘子』、P48
- ^ 『中国古典文学大系4 老子』金谷治訳、平凡社、1973年。P43章
- ^ a b 小川環樹訳『老子』中公文庫、1973年(以下略)。P13 の注
- ^ a b 小川環樹『老子』、P96 の注
- ^ 小川環樹『老子』、P18
- ^ 宇野哲人『中国の古代哲学』講談社学術文庫、2003年P155
- ^ 『中国古典文学大系4 老子』、平凡社、1973年。P488、金谷治解説
- ^ 『世界の名著4 老子 荘子』中央公論社。P117の注
- ^ 『世界の名著4 老子 荘子』小川環樹・注、中央公論社。P114
- ^ 蜂屋邦夫『老子』岩波文庫、2008年。P207 注5
- ^ 許抗生『老子・東洋思想の大河』除海訳、地湧社、1993年。P112
- ^ 『世界の名著4 老子 荘子』小川環樹解説、中央公論社。P22
- ^ 小川環樹『老子』中公文庫、1973年。P101 の注
- ^ 蜂屋邦夫訳『老子』岩波文庫、2008年。P187 注2
- ^ 中村元訳『仏弟子の告白 テーラガーター』岩波文庫、1982年。P252・注303
- ^ 「変わった話」―「電車で老子に会った話」、岩波版『寺田寅彦全集 第四巻』所収
- 1 老子道徳経とは
- 2 老子道徳経の概要
- 3 主な成語
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