農業振興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 06:01 UTC 版)
佐倉城は1873年(明治6年)に第一軍管東京鎮台佐倉分管となり、正倫は1889(明治22)年に佐倉城跡の東方、鹿島台地の縁辺部に本邸を新築し翌年夏より移り住んだ。敷地内には、母屋・茶室・蔵などの建物群と、それらを囲むように約2千400平方メートルの借景式の和洋折衷庭園が当時の有名庭師・珍珠園の伊藤彦右衛門によって造園された。1907年には士族授産事業の一環として庭の一部に「農事試験所」(現・佐倉市飯野地先)を作り、農業の振興に尽力した。1911年には、養子の堀田正恒が北海道士幌にて農地開拓を行なって佐倉農場を開設し、北海道士幌町には「佐倉」という地区が今も遺る。 また、明治維新前に正倫が住んでいた江戸の大名屋敷(麻布新笄町14、約5万坪)は、1871年(明治4年)に開拓使用地となり、渋谷村民有地3万坪と合わせて農業試験場「第三官園 (開拓使)」となり、1876年にはその一部に牧場が造られ「麻布の開拓使牧場」と呼ばれた(日本初の酪農試験場)。 佐倉本邸の屋敷裏手に広がっていた梅林 屋敷南面の樹木植場
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