贖宥状の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 00:19 UTC 版)
一般的に贖宥状の発行は十字軍のときに遡るとされている。当初、贖宥状の発行は、十字軍のときか、100年に1度、とかなり限定されていた。その効能も限定的であり、「教会が定めた罰」をいくらか減免させるというものだった。 ところがそのうち贖宥状の発行は50年に一度、33年に一度、25年に一度というふうに間隔が短くなっていき、やがて頻繁に発行されるようになった。特に15世紀後半のシクストゥス4世は、贖宥状を乱発すると同時に、その効能を現世での罰の減免だけでなく、煉獄にいるぶんにまで対象であると拡大した。 こうした贖宥状を批判したのはルターが初めてではない。14世紀にはウィクリフ、15世紀にはフスが贖宥状の販売を批判している。
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