詩人としての活動
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1952年6月21日に創刊した雑誌「芽だち」に参加、作品を発表していく(1959年、38号で終刊)。1953年12月、ともに被爆した妹が佐世保市日野峠で自殺。1954年、第一詩集「いのちの火」。1955年、長崎文学懇話会「地人」に参加。1958年に「鯨と馬」で第1回現代詩新人賞。1961年(昭和36年)、詩誌「橋」を発行。 1969年、第二詩集『記憶の固執』。1970年、第1回長崎県文芸賞。1971年、第三詩集「ナガサキ・腐蝕する暦日の底で」発表。
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