証券不況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/16 02:11 UTC 版)
証券不況(しょうけんふきょう)とは、不景気の通称で1964年(昭和39年)後半から1965年(昭和40年)に掛けておきた不況。証券恐慌、40年不況[1](昭和40年不況)、65年不況(1965年不況)、構造不況とも呼ばれる。戦後の日本の景気循環(景気基準日付)の第5循環の後半の谷の部分を指し、第5循環は1964年10月を景気の山とし、1965年10月を景気の谷とする[2]。
- ^ “生命保険協会百年史”. 一般社団法人生命保険協会. 2020年10月29日閲覧。
- ^ “内閣府_景気循環日付”. 2009年2月8日閲覧。
- ^ ただし、配当利回りは1955年の7.14%から1960年の3.67%まで下がった。ちなみに、2004年は1.10%である。
- ^ ただし、『小説日本興業銀行』によると、実際は田中角栄の発言に対し、田実渉は反論をしている。
- ^ NHK そのとき歴史が動いた 第284回 所得倍増の夢を追え~高度経済成長の軌跡~[1][リンク切れ]
- ^ 2004年時点で戦後最高水準
- ^ 財務省 第3節 証券事務 2.証券行政[リンク切れ]
- ^ https://www.nikkei.com/article/DGXNASFL090TQ_Z00C14A5000000/
- ^ 例えば、山川出版「詳説 日本史B」では、この件に関して載っているのは赤字国債の発行くらいで、証券不況ならびに昭和40年不況に関する記述は一切ない。
証券不況(昭和40年不況)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 14:10 UTC 版)
「高度経済成長」の記事における「証券不況(昭和40年不況)」の解説
詳細は「証券不況」を参照 順調な経済成長は同時に証券市場の成長も促し、投資信託の残高は1961年に4年前の約10倍となる1兆円を突破した。この勢いは、当時、「銀行よさようなら、証券よこんにちは」というフレーズが流行るほどだった。 しかし、1964年頃から経済は急速に縮小し事態は一変した。1964年にサンウェーブと日本特殊鋼(現大同特殊鋼)が倒産、1965年には山陽特殊製鋼倒産事件が発生した。さらに大手証券会社各社が軒並み赤字に陥った。一方個人消費は旺盛であり、主に個人消費者を対象とする製造業や流通業、サービス業はこの不況の影響をほとんど受けなかった。 こうした事態を受け、不況拡大を防ぐために政府は、1965年5月に山一證券への日銀特融、7月には戦後初である赤字国債の発行を決めた。結果、当時の政財界の関係者が危惧していた昭和恐慌の再来を未然に防ぎ、高度経済成長を持続していくこととなる。
※この「証券不況(昭和40年不況)」の解説は、「高度経済成長」の解説の一部です。
「証券不況(昭和40年不況)」を含む「高度経済成長」の記事については、「高度経済成長」の概要を参照ください。
証券不況と同じ種類の言葉
- 証券不況のページへのリンク