西野元
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/29 08:27 UTC 版)
西野 元(にしの げん、1875年(明治8年)11月29日 - 1950年(昭和25年)8月3日[1])は、日本の大蔵官僚、政治家、銀行家。大蔵次官、貴族院議員、枢密顧問官。大蔵省の至宝といわれた人物で、八八艦隊計画成立後に、海軍首脳に対しその実施不可能であることを踏まえワシントン会議に臨むよう訴えた[2]。
- ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』150頁。
- ^ 山梨勝之進『歴史と名将』毎日新聞社
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、32頁。
- ^ 『官報』第5834号、昭和21年6月27日。
- ^ 死期を早めた予算編成、前蔵相死去『東京朝日新聞』昭和10年2月1日夕刊(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p657 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 「西野元」 アジア歴史資料センター Ref.A06051186200
- ^ 『官報』第2640号「叙任及辞令」1921年5月21日。
- ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。
- ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
- 西野元のページへのリンク