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はちはちかんたい 【八八艦隊】
航空軍事用語辞典++ |
【八八艦隊】
- 旧日本海軍が、大艦巨砲主義にのっとって計画した艦隊編成。
戦艦8隻と、巡洋戦艦8隻で構成される。
しかし計画が進む中でワシントン海軍軍縮条約が締結され、主力艦保有数が制限されたためにこの構想は潰えることとなった。結果的に長門・陸奥が竣工。赤城と加賀が空母に改装されてとどまるのみとなった。
(もっとも、当時の日本の国力からして到底不可能な計画であったという意見もある)
計画されていた艦は以下の通り
戦艦
長門・陸奥・加賀・土佐・紀伊・尾張・駿河・近江
巡洋戦艦
赤城・天城・高雄・愛宕・十三号艦・十四号艦・十五号艦・十六号艦
- 海上自衛隊の護衛隊群の編成構想。
8隻の護衛艦(ヘリコプター護衛艦1隻、ミサイル護衛艦2隻、汎用護衛艦5隻)と、8機の対潜ヘリコプターで構成される。
原則としてヘリコプターは、ヘリコプター護衛艦に3機、各汎用護衛艦に1機ずつが配備される。
対潜水艦戦を強く意識してあり、現在の護衛艦隊群は全てこの編成で構成されている。
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八八艦隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/11/16 08:46 UTC 版)
八八艦隊(はちはちかんたい)は、日露戦争後に行われたアメリカ海軍を仮想敵国選定とした日本海軍の国防指針と第一次世界大戦の戦争景気による経済成長を背景に計画した、艦齢8年未満の戦艦8隻と巡洋戦艦8隻を根幹とする艦隊整備計画。補助艦として古鷹型重巡洋艦、多数の5500トン型軽巡洋艦、峯風型、樅型駆逐艦を含んだ大艦隊整備計画の事。
第一次世界大戦終結後の列強国間の軍縮を定めたワシントン海軍軍縮条約により、計画は破棄(又は一部変更)を余儀なくされた。
1907年(明治40年)、帝国国防方針における「国防所要兵力」の初年度決定において、戦艦8隻・装甲巡洋艦8隻として計画された。紆余曲折の後、1920年(大正9年)、「国防所要兵力第一次改訂」の予算案が通過した。当時の日本の歳出が15億円に対し、この艦隊が完成した場合の維持費が6億円かかるとされており、それを維持することは不可能であったといわれている[1]。
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- ^ 『写真集・日本軍艦史〈2〉 大正編』(海人社『世界の艦船』1977年8月号増刊、No.244) 中名生正己「大正の軍艦」 p124~p127 を参照。
- ^ 「軍艦天城(赤城)改造工事材料に関する件」第1画像
- ^ 「軍艦加賀を航空母艦に改造する件」第5画像
- ^ 「軍艦尾張製造の件」第17-19画像
- ^ 牧野茂『艦船ノート』78頁(13号艦要目)
- ^ 牧野茂 監修・内藤初穂 編『平賀譲遺稿集』(出版協同社、1985年) ISBN 4-87970-041-X 「新艦型ニ就テ 巡洋艦夕張に関する大正十年六月十二日付の意見書」 p275~p277
- ^ 牧野茂『艦船ノート』79頁
- ^ 『歴史群像太平洋戦史シリーズ48 日本軍艦発達史』 綴込付録:図解 46センチ砲の変遷 p91~p94
- ^ 『歴史群像太平洋戦史シリーズ48 日本軍艦発達史』 日本軍艦発達史 第二部 一斉打ち方の時代 第2章 対米作戦艦隊の建設(遠藤昭稿) p126~p127
- ^ 『歴史群像太平洋戦史シリーズ41 世界の戦艦』 列強海軍の戦艦整備 第四章 日本海軍八八艦隊計画 「長門」以降の戦艦8隻、巡洋戦艦8隻の大計画(大塚好古稿) p131~p132
- ^ 福井静夫『世界戦艦物語』 「八八艦隊計画の主力艦建造と戦艦加賀型の概要」 p343~p344
- ^ 「軍艦尾張製造の件」第2、15-16画像
- ^ 「軍艦尾張製造の件」第16画像
- ^ 筑土龍男「日本海海戦勝利の立役者 六六艦隊とは」 海人社『世界の艦船』1995年5月号 No.495 p150~p155
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