西条一柳家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/30 07:54 UTC 版)
直盛の長男直重が遺領のうち3万石を相続した。実質的に西条藩を成立させたのは直重であり、西条陣屋やその陣屋町を建設した。直重の死後、その領地は2人の息子、直興(2万5000石)と直照(5000石)によって分けられ、直興が西条藩3代藩主となったが、寛文5年(1665年)に勤仕怠慢や失政を理由として除封された。 5000石を分知されて旗本となった直照は伊予国宇摩郡津根村の八日市陣屋(現在の愛媛県四国中央市土居町津根)を居所としたが、子の直増は知行地を播磨国美嚢郡に移され、高木陣屋(現在の兵庫県三木市別所町高木)を居所とした。以後この家は高木陣屋を居所とする寄合旗本として幕末まで続いた(『寛政譜』編纂時の一柳直郷家)。一柳貞吉はこの旗本家の分家出身であり、この旗本一柳家を一柳一族の「宗家」として位置づけている。
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