藍山起義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 10:23 UTC 版)
黎利は藍山地域で勢力を持つ豪族だった。明によって国が失われ、人民が悲嘆にくれているのを憂い、財産の全てを注いで義士を招集し兵力を養った。決起の根拠地には藍山を選んだ。藍山はチュー川左岸に位置し、平野部と山岳部をつなぐ険しい地勢にあったのである。ここは越族・ムオン族・ターイ族など各民族が交わる場所でもあった。 1416年初め、黎利は蜂起の指導部18人とともに、隴崖(清化)で宣誓会を行い、宣誓文を読み上げた。1418年2月7日(戊戌1月2日)、黎利は藍山で蜂起の旗を挙げ、自らを平定王(ビンディンヴォン)と称した。
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