薬物学教授
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明治18年(1886年)11月19日東京大学奏任官御用掛の任免を受け帝国大学医科大学専任講師に就任。薬物学教室を担当し、明治19年(1887年)3月6日、勅令により帝国大学令が公布され、((旧)東京大学)から帝国大学となり、従来の総理が総長となって、5分化大学を設置、医科大学の黎明期に選出された7人の教授うちの一人に選ばれ、初代東京帝国大学医科大学薬物学の教授となった。 明治19年(1887年)初代帝国大学医科大学薬物学の教授就任後、帝国大学薬物学教室の実験機材・備品設備を調達、薬理研究の基盤を構築し、後進の指導教育に力を注ぎ、明治21年4月5日内務省の委託により日本薬局方調査委員に任命され、。明治24年(1891年)8月医学博士の学位を授与、翌25年(1892年)10月5日医術開業試験医員に任命、明治34年(1900年)4月29日理学文書目録編纂医員などを務め、同年10月3日帝国大学評議員に任命された。日本薬理学会の設立に向け中心的な役割も果たした。
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