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葉選寧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/14 05:21 UTC 版)

葉 選寧
葉選寧
第九期中国人民政治協商会議常務委員
任期
1998年3月3日 – 2003年3月3日
主席李瑞環
第八期中国人民政治協商会議委員
任期
1993年3月3日 – 1998年3月3日
中国人民解放軍総政治部聯絡部部長
任期
1990年6月 – 1998年10月
前任者金黎
後任者梁宏昌
個人情報
生誕1938年10月
イギリス領香港
死没2016年7月10日(77歳)
中華人民共和国 広東省広州市
国籍 中華人民共和国
政党 中国共産党
配偶者銭寧戈
親戚葉選平
葉選廉
子供葉弘
葉静子
葉剣英
曽憲植
出身校北京理工大学
職業政治家、書家、起業家
兵役経験
所属国 中国
所属組織 中国人民解放軍陸軍
軍歴1984年-1997年
最終階級 少将

葉 選寧(よう せんねい、1938年10月 - 2016年7月10日)は、中華人民共和国の政治家。あだ名は葉三、ペンネームは岳楓である。中国人民解放軍の元老葉剣英の次男である[1]。いわゆる太子党の1人。香港生まれで、本籍地は広東省梅県書道家として草書が得意である[2]

略歴

曽国藩故居(母方の祖母の生家)

本籍地は広東省梅県で、1938年10月に英領香港に生まれた。彼は湖南省にある母方の祖母の生家(曽国藩故居)で育てられた。1950年に家族とともに北京市に移住した。

1958年9月にハルビン軍事工程学院(現在のハルビン工程大学)に入学し、体調不良のために学校を休んだ。1960年に北京工業学院(現在の北京理工大学)無線電電子工程系を卒業した。卒業後は湖南省株洲市無線電元件廠の実習生となり、江西省上饒市にも派遣されていた。1974年に右腕は職場での事故で切断された。

1974年に政界入りし、国務院僑務事務辦公室副組長、副司長などを歴任し、1978年に国務院経済委員会弁公庁庁長の康世恩秘書となった。

1980年にビジネス界に入り、滄浪咨詢公司の社長となった。1984年に中国国際友好聯絡会の副会長となり、同年に中国人民解放軍に入隊した。1988年9月に少将階級を授与された。1990年に中国人民解放軍総政治部聯絡部の部長となった。

1993年に中国凱利実業有限公司の社長となった。1997年に復員した。

2016年7月10日、肺癌のために広東省広州市の中山病院で死去。77歳没。

家族

  • 父:葉剣英
  • 母:曽憲植(曽国荃の子孫)
  • 妻:銭寧戈。画家、銭益民の娘
  • 子:葉弘
  • 娘:葉静子。王震の孫である王京陽の妻。
  • 腹違いの兄:葉選平
  • 腹違いの弟:葉選廉

脚注




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