菫塚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/27 15:08 UTC 版)
一茶が久保田家を初めて訪れたのは文化6年(1809年)で兎園との面識はない。一茶は春耕から兎園の隠居住まい(一茶ゆかりの里 一茶館に江戸時代のままに復元移築)を提供され、ここに130数日間宿泊した。一茶は、春耕が刊行を計画した兎園の追悼句文集「菫塚」(未完)の編集を引き受け序文を書いている。 切石の四角張りて、物ごと理屈に言い落とさんより、丸き世間は美しけれとて、亡父兎園翁は、 のがれ住居の窓のたぐいも丸くして、人の中も丸きを好みて、かりそめの茶飲み噺(はなし) さえ、角立ちたるは忌み嫌い給いき。——「菫塚」(すみれづか)序文 草稿 久保田家の屋敷神である天満宮には、丸いものを好んだ兎園が集めたとされる球石が奉納されていた。石は8個が現存し、一茶ゆかりの里 一茶館で展示されている。
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