自由党時代
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「斎藤長三 (政治家)」の記事における「自由党時代」の解説
1888年(明治21年)11月官衙移転期成同盟会参議格となり、長年の懸案だった佐渡郡役所の河原田移転を求める署名を集め、1889年(明治22年)遠藤森造と上京して内務省に請願するも、却下された。同年3月自由党に入党した。 1892年(明治25年)7月『養気会誌』を『北斗』と改題し、8月内務省に学術雑誌の認可を受けたが、1893年(明治26年)11月22日政治記事を掲載したとして出版法で発行停止となった。 1893年(明治26年)4月30日自由党員による佐渡自由倶楽部結成、7月1日佐渡義会創立に参加し、共に幹事となった。1894年(明治27年)4月日清戦争に備えて国権党中山小四郎・立憲改進党島倉祐次郎と佐渡警備隊設置を請願したが、自然消滅した。 1900年(明治33年)4月11日旧自由党員で佐渡自由倶楽部を設立し、通信担当者を引き受けた。
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