聖公会神学院とは? わかりやすく解説

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聖公会神学院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/26 03:47 UTC 版)

聖公会神学院(せいこうかいしんがくいん、英語:Central Theological College)は、東京都世田谷区用賀1-12-31に本部を置く日本聖公会神学校である。法制度上は各種学校に分類される。1911年に設立された。なお、京都にはウイリアムス神学館もある。


注釈

  1. ^ 12月までに13人の生徒が集まった[5]
  2. ^ 新校舎建設後まもなく、共同設立者のイギリス海外福音伝道会(SPG)のショーとライトの両名が伝道上の都合で教授を辞したため、この学校はアメリカ・ミッションの米国聖公会の単独経営となった[8]
  3. ^ 聖教社の開業願は、1879年1月に多治見十郎によって提出され、多治見は聖教社で英学と数学を教えた。チャニング・ウィリアムズに従って、1875年(明治8年)から1878年(明治11年)まで英学及び数学を修業した多治見十郎は、当初は立教学校で学び、1876年(明治9年)11月29日に立教学校校舎が大火で焼失したことから、学校は1878年(明治11年)まで2年余り休眠状態になるが、その間もウィリアムズの元で学んだと思われる。
    聖教社の学科は、英学正則、英学変則、数学、漢字、習字とあり、単なる英学塾ではなく日本聖公会百年史が記述しているように初めは神学だけの教育機関ではなかった。英学教則の中には、綴字、習字、会話、読書、文法、史学、地学、理学、植物学、修心学の諸科目があった。7年制の学校で、入学資格は満14歳以上、20歳までであった。
    1880年(明治13年)1月には、隣接地の13番地に「聖教社分校女学校」が設立された。届出人は、同じく多治見十郎で、数学教員にはミセス・ショーの名前が見られる。英語、漢字、数学、習字、裁縫の諸学科を教え、予科3年本科5年で、満6歳から20歳までの女子を教え、当時としては高度な普通教育を行っていたとされる。
    1883年(明治16年)2月、聖教社は、都合により当分の内休業、聖教社分校女学校は都合を以て廃校を届け出ている。1892年(明治25年)11月には、同じ場所に「聖安得烈学院」が創立されたが、聖教社の後身といえる。学校長は吉沢直江で、学科は神学(3年)と英学(3年)で英学私塾としての初期の面影を残すものであった。
    聖安得烈学院は、1903年(明治36年)に廃校となったが、1905年(明治38年)4月には今井寿道から専門学校令による、「聖教社神学校」の設立許可願が提出され、この時初めて、英国国教会付属伝道会社の資金とエドワード・ビカステス(3代目の日本聖公会主教)の記念奨学資金とにより純然たる伝道者要請機関となった[11]
  4. ^ 香蘭女学校の記事には、今井寿道は1889年(明治22年)からは聖安得烈学院の教授を兼務したとあり、聖安得烈学院はそれ以前に開設されていた可能性もある。また、設立許可願を提出し認可校になったのが、1892年(明治25年)11月である可能性もある[12]
  5. ^ 当時、聖安得烈英語夜学会という学校も存在した。聖安得烈学院は、エドワード・ビカステスの指令で授業はすべて英語であったため、学生の中には英語力が弱い者もいて、夜学会はそれを補うものであった。聖安得烈学院及び聖安得烈英語夜学会では、イギリス海外福音伝道会(SPG)の宣教師ライオネル・チャモレ―(Lionenel Berners Cholmondeley)が教鞭を執っている[13]

出典

  1. ^ a b 木村信一「C・M・S・の日本初期伝道 : 忘れられた宣教師モンドレルの教育事業」『桃山学院大学キリスト教論集』第5号、桃山学院大学経済学部、1969年2月、153-175頁、ISSN 0286973X 
  2. ^ a b 日本聖公会東京教区 草創期のあゆみ
  3. ^ 『立教学院百年史』629頁
  4. ^ 『桃山学院の歴史 2005』 桃山学院の歴史3:川口居留地・桃山学院の誕生
  5. ^ a b Project Canterbury『An Historical Sketch of the Japan Missionof the Protestant Episcopal Church in the U.S.A. Third Edition.』 New York: The Domestic and Foreign Missionary Society of the Protestant Episcopal Church in the United States of America, 1891.
  6. ^ a b 平沢信康「近代日本の教育とキリスト教(4) : 明治初期・欧化主義の時代におけるキリスト者の教育活動」『学術研究紀要 / 鹿屋体育大学』第14号、鹿屋体育大学、1995年10月1日、63-80頁。 
  7. ^ 『立教学院百年史』630頁。
  8. ^ 平沢信康「近代日本の教育とキリスト教(6) -1880年代におけるキリスト教徒の教育活動<1> -」『学術研究紀要』第16巻、鹿屋体育大学、1996年9月、1-16頁。 
  9. ^ 川崎晴朗「築地外国人居留地の「予備地」 : 米国聖公会が入手するまで」『史苑』第64巻第1号、2003年、120-131頁、doi:10.14992/00001549 
  10. ^ LIXIL eye no.1 2012年11月 (PDF)
  11. ^ a b c d e 手塚竜磨「東京における英国福音伝播会の教育活動 A. C. Shawを中心として」『日本英学史研究会研究報告』第1966巻第52号、日本英学史研究会、1966年、1-6頁、ISSN 1883-9274 
  12. ^ a b 香蘭女学校『香蘭女学校創立130周年記念企画展に向けて(9)』
  13. ^ 日本聖公会管区事務所だより 第306号 2015年11月25日
  14. ^ 日本聖公会管区事務所『日本聖公会管区事務所だより』第332号 2018年5月20日発行
  15. ^ “[https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/content/000027743.pdf 東京都における文化財庭園の 保存活用計画(共通編)]”. 東京都建設局. 2018年11月21日閲覧。
  16. ^ 世田谷区専修学校各種学校協会”. www.setasen.jp. 2018年10月27日閲覧。
  17. ^ 日本聖公会関係学校協議会”. 2018年10月28日閲覧。
  18. ^ 聖公会神学院公式サイト
  19. ^ 中村敏 『日本プロテスタント神学校史』 いのちのことば社、2013年、136頁


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