結婚と子の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 07:15 UTC 版)
1881年(明治14年)、18歳の時に幡豆郡西尾横町(現在の西尾市)出身の伊藤さわと結婚した。1882年(明治15年)11月15日には長女のきみが、1884年(明治17年)4月30日には長男の武太郎が、1886年(明治19年)7月3日には二女のせつが、1889年(明治22年)8月2日には二男の宗三が、1891年(明治24年)12月30日には三女のれつが、1895年(明治28年)11月4日には三男の祐一が、1899年(明治32年)には四男の政治が、1904年(明治37年)には五男の悌三が生まれたが、ニ男の宗三は1890年(明治23年)に、四男の政治は1903年(明治36年)に、三男の祐一は1911年(明治44年)に夭逝している。 1911年(明治44年)9月11日には長男の武太郎が竹味志をと結婚した。志をは知多郡師崎村片名(現在の南知多町)出身であり、定期船が臨時に片名港に寄港して花嫁を乗せた。1912年(明治45年)1月17日には孫の千一郎が生まれたが、1924年(大正13年)9月13日には跡取りである武太郎が早逝した。その後は千一郎が杢左衛門の跡取りとなり、千一郎が大病にかかった際には寝ずに看病したという。千一郎は早稲田大学法学部卒業後にドイツ留学の話があったが、杢左衛門が難色を示したことで御破算となった。
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