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紫 (バンド)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/03/03 13:47 UTC 版)
| 紫 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出身地 | |
| ジャンル | ハードロック |
| 活動期間 | 1970年~1981年 2000年~ |
| メンバー | |
| JJ(ヴォーカル) ジョージ紫(キーボード) Chris (ベース) 宮永英一(ドラム) 比嘉清正(ギター) 下地行男(ギター) |
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| 旧メンバー | |
| 下記を参照 | |
紫(むらさき)は1970年に結成された沖縄県のハードロックバンド。沖縄県のロックバンドの草分け的存在である。
目次 |
メンバー
- 1975年から1978年
- ジョージ紫(キーボード)
- 宮永英一(ドラム、ヴォーカル)
- 城間正男(ヴォーカル)
- 城間俊雄(ベース)
- 下地行男(ギター)
- 比嘉清正(ギター)
- 2000年から
- ジョージ紫(キーボード)
- 宮永英一(ヴォーカル)
- RAY (ベース(ジョージ紫の長男))
- LEON(ドラム(ジョージ紫の次男))
- 佐藤圭一(ギター)
- 2007年から現在
- ジョージ紫(キーボード)
- JJ(ヴォーカル) 元MARINER(これもジョージ紫が結成していたバンド),HEAVY METAL ARMY
- 比嘉清正(ギター)
- 下地行男(ギター)
- 宮永英一(ドラム)
- Chris(ベース)
来歴
- 当時の沖縄はアメリカの施政下にあり、コザ市(現・沖縄市)の嘉手納飛行場、金武町のキャンプ・ハンセンなど米軍基地にはベトナム戦争へ動員前あるいは休暇中の米軍兵士があふれ、基地周辺では彼らを客とする歓楽街が賑わっていた。米兵向けのクラブにはアメリカ直輸入のロック、ソウルを生演奏するため、アマチュアまたはセミプロのバンドが数多く出演していた
- フィリピン人軍属とのハーフである城間俊雄、正男、勉の城間三兄弟がこの年「ピーナッツ」を結成。金武町のクラブに出演しドアーズ、ヴァニラ・ファッジなどの曲をカバーしていた。
- UCLAを中退し帰還した日系三世比嘉ジョージ(ジョージ紫)がピーナッツに加入し、「ジョージ紫グループ」に再編。ジョージ紫はディープ・パープルに深い影響を受けており、その後のバンドの音楽性を左右する存在となる。メンバーはジョージ紫(key)、城間俊雄(b)、城間正男(vo)、城間勉(g)、ミツル(ds)。
- 下地行男(g)が加入、城間勉が脱退。バンド名を「紫」とする。
- オリジナルメンバーはジョージ紫(key)、城間俊雄(b)、城間正男(vo)、下地(g)。4人の他は様々なメンバーチェンジがあり、サイドギター、サックス、パーカッションなどが入ることもある流動的な編成だった。
- 12月20日、コザ暴動
- 「万座ビーチ・ロック・コンサート」に出演。しかし、このコンサートでは興奮したファンの一人がピストルを振りかざし、あげく黒人刺殺事件にまで発展するという惨事が発生した。
- 1月、宮永英一(dr)加入。
- 1月、宮永が脱退し「コンディション・グリーン」に参加。国吉重敏(dr)加入。
- クラブ「タイガー」の共同経営者となる。以降はここを拠点にライブ活動を行う。
- 4月、宮永が再加入。宮永と国吉のツインドラムスに。
- 7月、国吉が脱退、比嘉清正(g)加入。
- ジョージ紫(key)、宮永(dr,vo)、城間正男(vo)、城間俊雄(b)、比嘉(g)、下地(g)の6人編成は1978年まで続く。
- 8月8日、大阪「8・8ロックデー」に突如ゲストとして登場し、本土上陸を果たす。後にリリースされたオムニバスアルバム「'75 8・8 ROCK DAY LIVE」にそのライブの模様が収録された。
- 4月1日にファーストアルバム『MURASAKI』、12月に『IMPACT』を続けて発売。日本のロックバンドのレコードセールスの壁と言われていた[要出典]1万枚を大きく上回る4万枚もの売り上げを記録した。
- 翌年にかけての北海道から九州にわたるライブツアーを実施。
- 「ミュージックライフ」誌77年度の人気投票で国内部門グループ第1位、6人のメンバーも各プレイヤー部門でそれぞれトップランキング入り、2枚のアルバムも3位と5位を受賞。
- TBS「ぎんざNOW!」で生演奏を披露。
- それまで拠点としていたクラブ「タイガー」を閉店。以後はライブハウス「紫」をバンド解散まで経営する。
- 全国ツアーの他、5月には12インチシングル『STARSHIP ROCK'N ROLLERS』を発売。
- 年内にアメリカでのレコーディング、ヨーロッパ各国でのレコード発売が予定されていたが、ジョージ紫、宮永、比嘉の3人が突然脱退を決める。メンバーそれぞれの音楽性の不一致とマンネリが理由とされる[要出典]。
- 9月22日 那覇市民会館でラストコンサートを行う。
- 城間兄弟と下地が残留、新しいメンバーを迎え紫を引き継ぐ。
- 宮永はコンディショングリーンに再加入しアメリカ録音のアルバムを発表。
- 新メンバーで活動継続していた紫は1981年に解散。
- 城間正男は「メッツ」というバンドでボーカルをとり、城間俊雄はコザのクラブでを演奏を行う。その後、城間兄弟は紫とは打って変わったAOR系のバンド「ISLAND(アイランド)」を結成。
- 下地は紫脱退後、音楽活動から離れ、資格をとり就職する。
- ジョージ紫はアメリカからメンバーを集め1979年に「MARINER(マリナー)」を結成。2枚のアルバムを発表。メンバーのビザの問題があり、翌1980年に解散。同年、現代音楽家、上地昇の交響詩「あけもどろ」の上演に参加。1982年にはテノール歌手大井学とのジョイントで、作曲家宮良長包の作品をアレンジしたアルバム「青い風・沖縄」を発表するなど、沖縄県出身アーティストとの共演によるクラシックと琉球音楽の融合を図る。また1981年には「ジョージ紫&オキナワ」を結成。
- 宮永は1979年に再結成された「キャナビス」に参加、翌1980年バンド名を「SAN-DIEGO(サンディエゴ)」に改めCBSソニーよりデビュー。その他、テレビドラマ「猿飛佐助」の主題歌製作や、チャー、アン・ルイスなど東京での数多いセッション活動、ドラムクリニックなどをこなす。
- 比嘉は「エナジー」というバンドを結成し、音楽活動をする傍ら、普天間でライブハウスを経営。
- 城間兄弟がライブハウス「ISLAND」を開店。
- 宮永が沖縄県へ戻る。元コンディショングリーンのギター、シンキと「HEAVY METAL ARMY」、後に「EASTAN ORBIT」として2枚のアルバムを発表。
- 沖縄市で開催された「MURASAKI WHY NOW? Piacefull Love Rock Concert」(第1回ピースフルラブ・ロックフェスティバル)にて一時再結成(ライブの模様は同名タイトルのCDになってビクターより発売)。東京でもライブが行われた。
- ジョージ紫&オキナワに宮永がボーカルとして加入。1985年には現ディアマンテスのギターであるターボらを加えメンバーチェンジして紫を再結成するが、間もなく解散。
- 城間兄弟率いるアイランドは1989年に『stay with me』を発表。1993年に発売されたファーストアルバムにはジョージ紫が曲を提供。
- 宮永は1988年に「ZODIAC」を結成。また、自分のルーツである琉球音楽に傾倒し、ケーシー・ランキンとともにユニット「琉球マジック」を結成。
- ジョージ紫は1989年にロックオペラ「シャングリラ・琉球」を発表。
- 1992年に沖縄復帰20周年を記念して東京・BIG EGG CITYで開催された大琉球祭に、下地行男以外のメンバーが紫を再結成し出演。
- 来沖したイアン・ギランのソロライブの際に前座をつとめた。
- ライブハウス「ISLAND」にて、“同窓会”と称して再結成ライブを一夜限りで行う。
- 音響の屋嘉部詳が交通事故で死亡。その死を悼み、メンバーは屋嘉部の生前の願いだった紫の再結成をかなえるべく集結し、交通遺児チャリティーというコンセプトで9月28日、宜野湾市野外海浜公園で一夜限りの再結成ライブを行う。その模様はアルバム「BACK TO THE ROOTS」として発売。
- 宮永とジョージ紫を中心に「NEW紫」を結成。メンバーはジョージ紫の長男のレイ(b)、次男のレオン(dr)、比嘉(g)、宮永(vo)、ジョージ紫(key)。
- 東北出身のギタリスト佐藤圭一が比嘉の代わりにギターをつとめ、正式にメンバーとして加入。
- 以降、メンバーはレイ(b)、レオン(dr)、佐藤(g)、宮永(vo)、ジョージ紫(key)という5人編成。
- 元ボーカル城間正男が名護市にあるスナックに不法侵入し、店員である女性を強姦した後、現金を奪って逃走したが後に逮捕される[1]。
- 元ボーカル城間正男、スーパーでの万引きによる窃盗により3度目の逮捕[3]。
- 7月8日、沖縄市コザ運動公園野外ステージで開催された「ピースフルラブ・ロックフェスティバル」(25回記念)にジョージ紫、宮永、下地、比嘉の4人で出演。『DOUBLE DEALING WOMAN』、『Smoke On The Water』などを演奏。その後、コザのライブハウス「7th Heaven KOZA」にて定期的にライブを行う。ピースフルラブ・ロックフェスティバルにも毎年参加。
紫のメンバーは、ジョージ紫(key)、JJ(vo)、比嘉(g)、下地(g)、宮永(dr)、Chris(b)。 競演にラウドネスの高崎晃、山下昌良、元メンバーであり現8-BALLのRay、Leon、Kazufumiら[4]。
メンバーは、ジョージ紫(key)、JJ(vo)、比嘉(g)、下地(g)、宮永(dr)、Chris(b)。
ディスコグラフィ
- 『紫』 - 1976年
- 『iMPACT』 - 1976年
- 『Do In Our Thing』 - 1977年
- 『MURASAKI WHY NOW…?』 - 1983年
- 『MURASAKI FOREVER』 - 1998年
- 『BACK TO THE ROOTS』 - 1998年
- 『ゴールデン☆ベスト』 - 2005年
脚注
- ^ 伝説のバンド”元ボーカルが準強姦
- ^ 「紫」の元ボーカル逮捕 沖縄県警
- ^ [1]
- ^ 神戸ビエンナーレ「Murasaki Once Again Peaceful Love Rock Concert in KOBE」詳細
- ^ 「紫ライブin東京2009」詳細
外部リンク
関連した本
- バンド・スコア 剛紫 「美我空-ビガク-my beautiful sky」 シンコーミュージック・エンタテイメント

