第9、10回極東選手権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/15 20:25 UTC 版)
「日本のバレーボール」の記事における「第9、10回極東選手権」の解説
第8回極東選手権にも神戸高商は日本代表として出場したが1930年、第9回極東選手権には、代表選考に際してピックアップ制を採用、神戸高商の後身の神戸商大の選手を中心として代表チームを編成し、強化合宿を行って本大会に臨んだ。その結果中国チームから1セットを取るという殊勲を挙げた。続く1934年、第10回極東選手権では完全なピックアップ制をとり、13名の代表選手を選び、初めて中国チーム破った。極東選手権も第10回に及び、ようやくフィリピン・中国に接近した力を持つに至った。極東選手権は戦争のため第10回で終了した。 なお、日本では1930年に試合時間短縮、興味の持続のためにラリーポイント制が導入されており、第10回極東選手権でも適用された。 その後国際大会と無縁になった日本国内では1941年、ネット高を230cmから225cmに引き下げた。
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