第37師団 (日本軍)
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第37師団(だいさんじゅうななしだん)は、大日本帝国陸軍の師団、盧溝橋事件後華北から華中・華南へと戦線が拡大し日中戦争が泥沼化するなかで、占領地の警備や治安維持を目的として新設された三単位編制の治安師団の一つである。 大陸打通作戦で北京からバンコクまで踏破し、日本一歩いた軍隊と言われている[注釈 1]。
注釈
- ^ 隷下の歩兵第227連隊の中隊長として大陸打通作戦に参戦し、中国大陸から仏印・英領マレーを転戦、マレーで終戦を迎えた太田武男大尉の著書に『歴戦1万5000キロ―大陸縦断一号作戦従軍記』がある。
- ^ 同じく1939年(昭和14年)2月7日に第32・第33・第34・第35・第36師団の、同年6月30日には軍令甲弟21号により第38・第39・第40・第41師団の編成が下令された。
- ^ 印度支那駐屯軍は、1944年(昭和19年)12月20日、第38軍に改称された。
- ^ 戦後、ナコーンナーヨック県の駐屯地は、タイ王国陸軍のチュラチョームクラオ陸軍士官学校に転用された。また、ナコーンナーヨック県のプランマニー寺に慰霊碑奉賛会が納めた石碑がある。
出典
- 1 第37師団 (日本軍)とは
- 2 第37師団 (日本軍)の概要
- 3 脚注
- 第37師団_(日本軍)のページへのリンク