第四章 二十五年目の再会 - 昭和四十五年五月 -
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「阪堺電車177号の追憶」の記事における「第四章 二十五年目の再会 - 昭和四十五年五月 -」の解説
1970年(昭和45年)5月のある日、中崎信子は天王寺駅前で横断歩道の向こうから、自分より少しだけ若い中年の女に見られている、と思った。そして、すれ違いざまにその女は「もしかして北田信子さんやありませんか」と声をかける。女は上西、いえ井ノ口雛子ですと名乗る。戸惑う信子に、もう25年も前の終戦前に自分が運転していた電車に乗っていて空襲警報が鳴ったために一緒に逃げたのだと説明されて、信子はあのときの運転士かと、驚きとともにようやく思い出した。雛子は続けてあのときのことでずっと気になっていることがあって、何度も信子の顔を思い出していたのだと言い、話がしたいからと喫茶店に誘う。 雛子は、信子が住んでいた町で幸男が無事だったことを聞いたことや、終戦の翌年に信子を見かけたこと、地下鉄の出入り口から出てきたことに違和感を持ったことなどを話し、実は信子は防空壕が怖くて入れなかったのではなく、防空壕の中に顔を合わせたくない人がいたのではないかと尋ねる。それで信子は本当のことを話し始める。
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