いしはら‐よしろう〔‐よしラウ〕【石原吉郎】
石原吉郎
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石原 吉郎(いしはら よしろう、1915年(大正4年)11月11日 - 1977年(昭和52年)11月14日)は、日本の詩人・エッセイスト・歌人・俳人。シベリア抑留の経験を文学的テーマに昇華した、戦後詩の代表的詩人として知られる。シベリア抑留経験者の中では特異な存在である[1]。
注
- ^ シベリア抑留やフランクルの『夜と霧』ほど絶対的な影響を石原に与えたわけではないが、エッセイ「私と古典――北條民雄との出会い――」(『断念の海から』所収)を読むと、北條民雄の影響が小さいとは必ずしも言えない。
- ^ 石原のエッセイ「教会と軍隊と私」によると、ドイツ部貿易科を卒業、大阪ガスの研究部に就職した。
- ^ 共同通信社『沈黙のファイル』(新潮文庫)ではジャリコーワ[16]、白井『シベリア抑留』(平凡社新書)ではジャリコ―ウォの表記[17]。
- ^ スターリンは第2次世界大戦終結直後に、日本軍捕虜50万人を旧ソ連国内の強制収容所に配置する詳細な指令を出していた[20]。この指令を「スターリン指令」と通称している。8月23日に国家防衛委員会(議長はスターリン)が決定したもので、正式には「日本軍捕虜の受入、配置、労働使役」に関する決定、と呼ばれている[21]。ハーグ陸戦法規第20条には「平和克服の後は、なるべく速やかに捕虜をその本国に帰還させる」、また、ジュネーヴ条約第75条には「捕虜送還は講和締結後ごく短時間で実施されなければならない」と書かれているが、旧ソ連がサンフランシスコ平和条約を締結しなかったことから、これらの国際条約に違反していないと正当化する議論はありうる。しかし、ポツダム宣言では、「日本国軍隊は完全に武装を解除されたる後各自の家庭に復帰し平和的且生産的の生活を営むの機会を得しめられるべし」との項目があり、スターリン指令はこの項目に違反している[21]。
- ^ シベリア抑留の実態やラーゲリの内情について詳しく知りたい向きは、ソルジェニツィンの『収容所群島』やアン・アップルボーム『グラーグ』(白水社、2006年、ISBN 4-560-02619-X)、ジャック・ロッシ『ラーゲリ強制収容所註解事典』(恵雅堂出版、1996年、ISBN 4-87430-023-5)などを参照のこと。
- ^ 熟睡中の深夜から未明にかかて容疑者をたたき起こして取り調べを行うことは旧ソ連では伝統的な手法である[38]。逮捕・連行が常習的に深夜や早朝に行われていたことは、アップルボームの『グラーグ』にも書かれている。
- ^ ただし、旧ソ連の死刑制度は後に復活する。
- ^ ただし、ラーゲリにおいては管理者・囚人ともに長年にわたってトゥフタ (TFTA) が常態化しており、政府から各ラーゲリに発せられた命令内容が守られることは全くなかった[42]
- ^ 旧ソ連国内で、囚人を強制収容所へ移送するために使われた専用列車の通称。ロシア帝政時代末期の首相ストルイピンに由来する[44]。ストルイピンカではなく、単にストルイピンと書く書物もある。ストルイピンカは別名「走る留置場」と呼ばれ、囚人は家畜以下の存在として扱われたことはシベリア抑留やグラーグについて書かれた書物にはしばしば書かれている。石原のエッセイの中では例えば「ペシミストの勇気について」(『日常への強制』所収)の中で触れられている。
- ^ グラーグのシステムでは、囚人は強制収容所へ移送される前、あるいは別の強制収容所へ移動になる前にペレスールカへ一旦収容され、そこでラーゲリでの伝染病蔓延を防ぐための検疫と健康チェックを受けた。この間に、強制収容所の強制労働で衰弱した囚人の健康状態をある程度回復させることも目的の1つになっていた。
- ^ コロンナとは、建設の進捗に合わせて移動する受刑者用小収容所のことである[48][47]。石原のエッセイ「オギーダ」によると、バム鉄道沿線では強制収容所を指して一般的に「コロンナ」という名前を使っていたという。数字の33は、バム鉄道の起点であるタイシェトから33kmの位置にある、という意味である[49]。
- ^ コルィマとバムのラーゲリは共に、旧ソ連の囚人たちの隠語で「屠殺場」と呼ばれていて、当時の囚人の間では最大の恐怖を意味していた[51]。
- ^ ソルジェニツィンの『収容所群島』の中にも、スターリン死去以前の囚人による大規模なストライキや抗議活動、スターリン死去・ベリヤ失脚後のケンギルでの暴動について触れた章(『収容所群島』第5部第12章)がある。
- ^ それまで石原が詩を全く書いたことがなかったわけではないが、その数はごくわずかである[69]。
- ^ 当時の日本人の多くが、シベリア抑留者を潜在的な共産主義者と見なしており、復員後、就職の際に大きなハンディキャップとなった。シベリア抑留者が根拠なく警戒された一例として、ジャーナリストの斎藤貴男の父親を挙げておく。斎藤の父親はシベリヤ抑留経験者で、復員後くず鉄屋を生業としていたが、死ぬまで公安に監視されていた[73]
- ^ 『ロシナンテ』の活動がどのようなものだったかについては、石原が短文「「ロシナンテ」のこと」(『断念の海から』所収)の中で簡単に触れている。
- ^ 勝野は東京藝術大学油絵科の学生で、1957年6月25日本郷の下宿近くで、運転を誤ったオート三輪車による自動車事故に遭い亡くなった[69][93]。勝野の詩は、没後『勝野睦人遺稿詩集』として思潮社から刊行され、また、書簡は勝野と親しかった竹下育男によってほぼ独力で『勝野睦人書簡集』として出版された[93]。好川は『ロシナンテ』の事実上の中心的存在だったが、突然沈黙した後、入院していた山梨の精神病院で自殺した[69][94][95]。粕谷は『ロシナンテ』終刊後しばらく沈黙していたが、1972年に『世界の構造』で高見順賞を受賞している[69]。石原が亡くなった後に編纂された『石原吉郎全集Ⅰ-Ⅲ』(花神社刊)の編集責任者の一人が粕谷である。
- ^ 『ノッポとチビ』に掲載された文章と、「肉親にあてた手紙」の異同の詳細については、『石原吉郎全集Ⅱ』の解題・校異を参照のこと。
- ^ 『失語と断念』は石原吉郎を中心に展開された評論ではあるが、シャラーモフやソルジェニツィン、ドストエフスキー、オシップ・マンデリシュターム、ナデージダ・マンデリシュターム、アンナ・アフマートヴァに関する議論へ逸脱する箇所のほうが多く、石原の文章を直接論じた部分は少ない。論旨はしばしばあいまいで、拡散しがちである。
- ^ 富田武の『シベリア抑留』p.240では、石原が帰国後最初に読んだ本が『夜と霧』であったと書かれている。
出典
- ^ 富田武『シベリア抑留 スターリン独裁下、「収容所群島」の実像』中公新書、2016年。ISBN 978-4-12-102411-4。
- ^ 畑谷史代『シベリア抑留とは何だったのか -詩人石原吉郎のみちのり-』岩波ジュニア新書、2009年、4, 195頁。ISBN 978-4-00-500618-2。
- ^ 畑谷『シベリア抑留』p.195.
- ^ 富田武 著、テッサ・モーリス-スズキ 編『石原吉郎―抑留を二度生きた詩人の戦後』岩波書店〈ひとびとの精神史 第2巻 朝鮮の戦争―1950年代〉、240頁。ISBN 978-4-00-028802-6。
- ^ a b c 畑谷『シベリア抑留』p.73.
- ^ a b c d e f g 石原「受洗に至るまで」(『一期一会の海』所収)
- ^ a b 石原「教会と軍隊と私」(『断念の海から』所収)
- ^ a b 石原「自編年譜」(『石原吉郎全集』Ⅲ(花神社)所収)
- ^ a b 石原「教会と軍隊と私」
- ^ 畑谷『シベリア抑留』p.196.
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- ^ a b c 畑谷『シベリア抑留』p.106.
- ^ a b 畑谷『シベリア抑留』p.3.
- ^ 畑谷『シベリア抑留』pp.73-74, 196.
- ^ 富田『シベリア抑留』p.88.
- ^ 共同通信社社会部『沈黙のファイル 「瀬島龍三」とは何だったのか』新潮文庫、1999年、184頁。ISBN 4-10-122421-8。
- ^ 白井久也『検証シベリア抑留』平凡社新書、2010年、50, 151頁頁。ISBN 978-4-582-85515-9。
- ^ 富田『シベリア抑留』p.89.
- ^ a b 富田『シベリア抑留』p.106.
- ^ 畑谷『シベリア抑留』p.173.
- ^ a b 富田『シベリア抑留』p.92.
- ^ 畑谷『シベリア抑留』pp.75-76.
- ^ 富田『シベリア抑留』p.90.
- ^ 富田『シベリア抑留』pp.98-100.
- ^ 富田『シベリア抑留』p.95.
- ^ 富田『シベリア抑留』pp.105-106.
- ^ 『石原吉郎全集』Ⅲ、自編年譜
- ^ 畑谷『シベリア抑留』p.76.
- ^ 石原「こうして始まった」(『石原吉郎全集Ⅲ』(花神社)所収)
- ^ 畑谷『シベリア抑留』p.72.
- ^ a b 畑谷『シベリア抑留』p.77.
- ^ 富田『石原吉郎』p.245.
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- ^ a b c d 畑谷『シベリア抑留』p.83.
- ^ a b c d e f g h i 富田「石原吉郎」p.246.
- ^ a b c d e 畑谷『シベリア抑留』p.82
- ^ a b c 石原「望郷と海」(『望郷と海』所収)
- ^ 畑谷『シベリア抑留』p.94.
- ^ a b c d e f 石原「こうして始まった」
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- ^ 富田「石原吉郎」p.247.
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- ^ 石原「オギーダ」(『日常への強制』所収)
- ^ 石原「詩と信仰と断念と」(『断念の海から』所収)
- ^ 石原「肉親へあてた手紙」(『日常への強制』所収)
- ^ a b 畑谷『シベリア抑留』p.101.
- ^ 共同通信社『沈黙のファイル』p.259.
- ^ a b 共同通信社『沈黙のファイル』p.260.
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- ^ 富田「石原吉郎」p.241.
- ^ a b 石原「私と古典――北條民雄との出会い」(『断念の海から』所収)
- ^ a b c d 石原「沈黙するための言葉」(『日常への強制』所収)
- ^ a b c d e 石原「随想」塗りこめた手帳(『一期一会の海』所収)
- ^ a b 富田『シベリア抑留』p.170.
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- ^ 石原「詩を書き出すまで」(『石原吉郎全集』Ⅲ(花神社)所収)
- ^ a b c d e f g h i j k l m 石原「私の詩歴」――『サンチョ・パンサの帰郷まで』(『断念の海から』所収)
- ^ a b c d e f 富田「石原吉郎」p.261.
- ^ a b c d e f g h i j 『石原吉郎全集』Ⅲ年譜
- ^ a b c 畑谷『シベリア抑留』p.30.
- ^ 斎藤貴男『人間破壊列島』太陽企画出版、2001年、248頁。ISBN 4-88466-360-8。
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- ^ V.シャラーモフ『極北 コルィマ物語』朝日新聞社、1998年。ISBN 4-02-257351-1。
- ^ 内村『失語と断念』
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- ^ 石原吉郎『望郷と海』ちくま文庫、1990年、36-37頁。ISBN 4-480-02492-1。
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- 2 石原吉郎の概要
- 3 シベリア抑留と回顧録
- 4 参考文献
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