相良堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 14:33 UTC 版)
墓(首塚)は鮸谷{(にべがたに)現・八代市古麓町}に建てられたが、肥薩線開通の折に線路上に被らないよう墓は5 - 6mほど移動され、遺品も人吉に移された。また多良木永昌寺に供養塔がある。また、響野原(現・宇城市豊野町糸石)の義陽が討たれた地は元々往還路で、その地が人馬に踏まれるのを危惧した犬童頼安が、土手を築かせ供養碑を建立した。現在は「相良堂」として祀られている
※この「相良堂」の解説は、「相良義陽」の解説の一部です。
「相良堂」を含む「相良義陽」の記事については、「相良義陽」の概要を参照ください。
- 相良堂のページへのリンク