相応院 (蒲生氏郷正室)とは? わかりやすく解説

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相応院 (蒲生氏郷正室)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 02:08 UTC 版)

相応院(そうおういん、永禄4年(1561年) - 寛永18年5月9日1641年6月17日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性。織田信長の次女。蒲生氏郷の正室。


  1. ^ a b c d 渡辺江美子「織田信長の息女について」『国学院雑誌』89巻11号、1988年。
  2. ^ 西ヶ谷恭弘 『考証 織田信長事典』東京堂出版、2000年、244-245頁。 
  3. ^ 今村義孝 『蒲生氏郷』人物往来社、1967年、53頁。 吉川弘文館から2015年に再版)
  4. ^ 和田裕弘「織田信長家臣団の女性たち」『歴史読本』54巻4号、2009年。
  5. ^ 谷徹也「総論 蒲生氏郷論」谷徹也 編著『シリーズ・織豊大名の研究 第九巻 蒲生氏郷』 戒光祥出版、2021年、12頁。 ISBN 978-4-86403-369-5


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