百里奚とは? わかりやすく解説

ひゃくり‐けい【百里奚】

読み方:ひゃくりけい

中国春秋時代の秦の人。字(あざな)は井伯。捕らえられていたとき、秦の穆公(ぼくこう)がその賢を聞き、羖羊(こよう)(黒い牡の羊)の皮5買って宰相としたので、その恩にこたえて大い活躍穆公春秋五覇一人とした。五羖大夫(ごこたいふ)。


百里奚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/27 14:51 UTC 版)

百里 奚(ひゃくり けい)は、中国春秋時代宰相五羖大夫(ごこたいふ)または百里傒とも呼ばれる[2]孟明視中国語版の父。事績は『史記』及び『孟子』などの諸子の書に散見される。


  1. ^ 『武英殿本二十四史』史記秦本紀の該当箇所
  2. ^ 百里傒という表記は武英殿版の『史記』秦本紀に見られる[1]
  3. ^ 小竹訳 1962, p. 37.
  4. ^ 東洋史学者の小竹文夫は、百里奚が虞君の無能を悟り、虞国から既に逃亡していた可能性を示唆している[3]
  5. ^ a b c d 小竹訳 1962.


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