畠山政国とは? わかりやすく解説

畠山政国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/16 06:20 UTC 版)

畠山 政国(はたけやま まさくに)は、戦国時代武将大名河内紀伊越中守護である畠山尾州家[5]の惣領名代。播磨守を称した[6][注釈 1]


注釈

  1. ^ 『寛政重修諸家譜』では播磨守のほか、尾張守とも名乗ったとされるが[3][4]、一次史料で確認できる名は「播磨守」と出家後の「播磨入道」である[6]
  2. ^ 続群書類従』所収の「両畠山系図」[8]や『寛政重修諸家譜』に含まれる「畠山系図」[3][4]では、天文19年(1550年)8月12日の没とされる[17]
  3. ^ 例として、今谷明は畠山弥九郎を政国とし[21]、天文11年(1542年)の畠山稙長の河内帰還に伴い高屋城から逃れた人物を政国としていた[22]

出典

  1. ^ 小谷 2022, pp. 297–298. 男子は史料に登場した順。
  2. ^ a b 弓倉 2006, p. 19.
  3. ^ a b c d e f g 寛政重脩諸家譜 第一輯』国民図書、1922年、560–561頁。全国書誌番号:21329090https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082717/290 
  4. ^ a b c d e f g 堀田正敦等 編「巻第九十八」『寛政重修諸家譜』 第二(新訂)、続群書類従完成会、1964年6月15日、248–249頁。NDLJP:2983749/131 (要登録)
  5. ^ 弓倉 2006, p. 48.
  6. ^ a b 弓倉 2006, p. 327.
  7. ^ 弓倉 2006, p. 19; 小谷 2022, p. 298.
  8. ^ a b c 塙保己一 編「両畠山系図」『続群書類従 巻百十五』写、1878年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2553646/23 
  9. ^ 弓倉 2006, p. 238; 小谷 2022, p. 306.
  10. ^ 羽曳野市史編纂委員会 編『羽曳野市史』 第1巻《本文編1》、羽曳野市、1997年3月31日、982頁。NDLJP:9576796/518 (要登録)
  11. ^ 弓倉 2006, p. 241; 小谷 2022, pp. 304–306.
  12. ^ a b 弓倉 2006, pp. 48, 238–243.
  13. ^ 『天文日記』天文15年(1546年)12月28日条。
  14. ^ 弓倉 2006, pp. 242–243, 326–328.
  15. ^ a b 弓倉 2006, pp. 326–328.
  16. ^ 弓倉 2006, p. 333.
  17. ^ a b 弓倉 2006, pp. 327–328.
  18. ^ 弓倉 2006, pp. 47–48.
  19. ^ 小谷 2022, p. 298.
  20. ^ 弓倉 2006, pp. 258–263.
  21. ^ 今谷明「室町時代の河内守護」『守護領国支配機構の研究』法政大学出版局〈叢書・歴史学研究〉、1986年。全国書誌番号:87014657 
  22. ^ 今谷明『戦国三好一族』新人物往来社、1985年、102頁。ISBN 4-404-01262-4 
  23. ^ a b 有田市誌編集委員会 編『有田市誌』有田市、1974年、305–307頁。全国書誌番号:73013532 


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