猿猴橋とは? わかりやすく解説

猿猴橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/31 17:04 UTC 版)

猿猴橋(えんこうばし)は、広島県広島市猿猴川にかかる道路橋


注釈

  1. ^ 通説ではとされてきたが、建造年発行の「道路の改良」(道路改良会)の記載を参照し、復旧の際に鷹を採用した[10]
  2. ^ 広島県商品陳列館、現在の原爆ドームと同じ様式。セセッションは大正当時モダン様式であった。商品陳列館(原爆ドーム)は1915年(大正4年)竣工であるため、11年後に猿猴橋が竣工したことになる。製作には商品陳列館図案部の阿部技師も参加している[11]
  3. ^ 猿郎とは、毛利氏旧居城の吉田郡山城そばの可愛川に「河太郎(がたろう)」という妖怪がおり、これと猿猴が合わさって(猿猴+河太郎)呼ばれだしたとされている[14]
  4. ^ 旧西国街道筋の己斐橋も同年3月28日に開通式が行われている[7]。また前年には元安橋が、翌年には京橋が架け替えられている。
  5. ^ 宮川興業は1992年元安橋の架け替え工事も担当している[30]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 猿猴橋(えんこうばし)”. 広島県. 2022年3月3日閲覧。
  2. ^ a b c d e 命の架け橋”. 広島市. 2022年3月3日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i 被爆橋梁リスト”. 広島市. 2022年3月3日閲覧。
  4. ^ ひろしま地図ナビ
  5. ^ a b c 「がんす横丁」シリーズ がんす横丁 (二十四)猿猴橋界隈(かいわい)㊤”. 中国新聞 (2017年2月26日). 2022年3月3日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n 再び羽ばたく吉祥の鷹”. 広島市 (2016年3月15日). 2022年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月3日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 小坂登「新装成れる廣島市東西兩橋」(PDF)『道路の改良』第8巻第5号、土木学会、1926年5月、2022年3月3日閲覧 
  8. ^ a b c d e 復元の会.
  9. ^ a b c d 猿猴橋”. ヒロシマピースメディア (2018年8月1日). 2022年3月3日閲覧。
  10. ^ 華麗なタカ像 猿猴橋に再び 28日記念の催し 住民ら「感無量」 広島市南区”. 中国新聞 (2016年3月11日). 2022年3月3日閲覧。
  11. ^ a b c d e f g 「がんす横丁」シリーズ がんす横丁 (二十四)猿猴橋界隈(かいわい)㊦”. 中国新聞 (2017年3月5日). 2022年3月3日閲覧。
  12. ^ 池享「天下統一と朝鮮侵略」『日本の時代史13 天下統一と朝鮮侵略』吉川弘文館、2003年6月。ISBN 4-642-00813-6。p.76-77
  13. ^ a b 原爆戦災誌 1971, p. 6.
  14. ^ a b c d e f 美奈美国風土記”. 広島市. 2012年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月3日閲覧。
  15. ^ a b c d しろうや!広島城 第43号” (PDF). 広島城博物館. 2022年3月3日閲覧。
  16. ^ a b 浅野氏広島城入城400年記念リーフレット 第4巻” (PDF). 広島市. 2022年3月3日閲覧。
  17. ^ しろうや!広島城 第20号” (PDF). 広島城博物館. 2022年3月3日閲覧。
  18. ^ a b 【第3部 藩の遺産】<4>西国街道 繁栄の起点、近年注目”. 中国新聞 (2019年6月14日). 2022年3月3日閲覧。
  19. ^ a b c これが私のとっておき!”. 広島市広報誌 (2015年3月5日). 2022年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月3日閲覧。
  20. ^ a b c d e 広島案内記』吉田直次郎、1913年、15頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/947802/232022年3月3日閲覧 
  21. ^ 志熊直人 著、広島県庁 編『広島臨戦地日誌』1899年、168頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991470/952022年3月3日閲覧 
  22. ^ 地方通信」(PDF)『道路の改良』第11巻第6号、土木学会、1931年5月、2022年3月3日閲覧 
  23. ^ a b 猿猴橋”. NHK広島. 2012年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月3日閲覧。
  24. ^ 原爆戦災誌 1971, p. 251.
  25. ^ 原爆戦災誌 1971, p. 1025.
  26. ^ 復興の礎/被爆の街に庵治の技”. 中国新聞 (1999年5月18日). 2004年12月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月3日閲覧。
  27. ^ 広島市橋梁維持管理実施計画” (PDF). 広島市 (2019年). 2022年3月3日閲覧。
  28. ^ 猿猴橋親柱復元へ貴重な資料”. 中国新聞 (2008年6月17日). 2022年3月3日閲覧。
  29. ^ 薫る大正 猿猴橋の復元模型”. 中国新聞 (2008年11月22日). 2022年3月3日閲覧。
  30. ^ a b 命つないだ猿猴橋に感謝 復元へ最後の8・6 住民ら「ご苦労さま」 広島原爆の日”. 中国新聞 (2015年8月7日). 2022年3月3日閲覧。
  31. ^ タカ舞う猿猴橋 再び 90年前の威容 広島市復元”. 中国新聞 (2016年3月29日). 2022年3月3日閲覧。
  32. ^ 猿猴橋の復元祝おう 28日 知事ら渡り初め 広島市南区”. 中国新聞 (2016年3月28日). 2022年3月3日閲覧。
  33. ^ 懐かし猿猴橋モニュメント 広島市南区で住民ら除幕式”. 中国新聞 (2015年3月27日). 2022年3月3日閲覧。
  34. ^ 松本清張文学散歩”. 中央大学文学部文学科国文学専攻. 2022年3月3日閲覧。
  35. ^ 松本清張と広島―その点と線―” (PDF). 広島市郷土資料館. 2022年3月3日閲覧。
  36. ^ 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
  37. ^ ひろしま2045:平和と創造のまち 対象事業一覧”. 広島市. 2022年3月3日閲覧。
  38. ^ 陸軍省 1899, p. 44.
  39. ^ a b c d 被爆水管橋一部を展示 軍都の記憶 刻印に残す”. 中国新聞 (2009年4月30日). 2022年3月3日閲覧。
  40. ^ a b c d 陸軍省 1899, pp. 43–44.
  41. ^ 陸軍省 1899, p. 41.


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猿猴橋(えんこうばし)

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