漫才ブーム
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漫才ブーム(まんざいブーム)は、演芸界において、1980年 - 1982年のごく短い期間に漫才がさまざまなメディアを席巻し、またメディアに消費された一大ムーブメントである[1]。
- ^ a b c d e f g h i j 山田夢留 (2017年8月22日). “岐路の風景 漫才ブーム 上方パワー「どん底」からの爆発 作家とテレビが支え”. 毎日新聞 (毎日新聞大阪本社). オリジナルの2018年1月23日時点におけるアーカイブ。 2019年2月2日閲覧。
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- ^ 笑いは世につれ 戦後大衆芸能をふり返る(14) 東西の対決企画
- ^ a b c 1980年「MANZAI」に賭けた男たち
- ^ 大喜利とバラエティー番組の50年(1)『笑点』とMANZAIブーム
- ^ 「花王名人劇場」“お笑いの聖地”NGKで23年ぶり復活 ― スポニチ 、NGKで「花王名人劇場」が23年ぶり復活!(2/3ページ)、横澤彪さんの御冥福をお祈りいたします:西条昇ブログ
- ^ a b c d 横澤彪氏 元フジテレビジョン・エグゼクティブプロデューサー「面白いことをどれだけまじめにやるかに燃えていた」「テレビ・ウォーズ」『NBonlineプレミアム』 日経BP社(Internet Archive)
- ^ a b c d e f サンデー毎日、1981年1月4日・11日合併号、p142-156
- ^ 木村政雄. “木村政雄の私的ヒストリー 第67話”. 木村政雄の事務所. オリジナルの2018年4月3日時点におけるアーカイブ。 2018年4月3日閲覧。
- ^ 「たけし、さんま、タモリの育ての親じゃない!?」故・横澤彪氏の葬儀にBIG3は出席せず
- ^ 鹿内春雄記念アルバム編集委員会編「鹿内春雄とフジサンケイグループ年譜」『鹿内春雄記念アルバム』フジサンケイグループ会議、1989年、94頁。
- ^ 読売新聞、1980年12月21日、27面
- ^ 放送批評、放送批評懇談会編、1980年11月号、p24
- ^ 笑いは世につれ 戦後大衆芸能をふり返る(15) 「MANZAI」の誕生
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- ^ a b c d 漫才が愛され続ける理由 | Trace 「トレース」- NTTグループカード
- ^ a b c d 木村政雄. “木村政雄の私的ヒストリー 第51、54~56話”. 木村政雄の事務所. オリジナルの2017年10月11日時点におけるアーカイブ。 2018年4月3日閲覧。
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- ^ a b c d 戸部田誠『1989年のテレビっ子』双葉社、2016年、61-70頁。ISBN 9784-575-31105-1。
- ^ 【吉本興業研究】第二部「笑いはビジネス」編(3)ブランド高めた漫才ブーム
- ^ a b 中本裕己 (2013年4月25日). “ぴいぷる 【大崎洋】吉本興業社長は“闘う人情家”「さんまが紳助を一番心配している」”. ZAKZAK. 産業経済新聞社. 2018年4月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月21日閲覧。
- ^ 沿革 | 吉本興業株式会社
- ^ a b 島田洋七・木村政雄 (2016年12月31日). “僕らが爆笑した「漫才コンビ」ベスト10を勝手にランキング!”. 現代ビジネスプレミアム. 講談社. p. 1. 2018年8月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年10月5日閲覧。
- ^ 大下英治『吉本興業、カネの成る木の作り方』講談社、2007年、p158
- ^ お笑いナタリー - 漫才界のジョブズを解き明かす歴史ミステリーまもなく放送
- ^ 大阪が“笑いの聖地”と呼ばれる理由とは? 上方落語、吉本興業に見る笑いの歴史
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- ^ a b c 戸部田誠『1989年のテレビっ子』双葉社、2016年、6-14頁。ISBN 9784-575-31105-1。
- ^ “たけし オイラより先に売れた西城秀樹さん…当時は格差で口も利けなかった”. 東京新聞(TOKYO Web) (中日新聞東京本社). (2018年5月22日). オリジナルの2018年6月17日時点におけるアーカイブ。 2018年8月5日閲覧。
- ^ “上沼恵美子 紅白での〝壮絶イジメ〟告白「口きいてくれない」「感じ悪いおばはんや」”. 東スポWEB (東京スポーツ新聞社). (2022年7月31日). オリジナルの2022年10月2日時点におけるアーカイブ。 2023年5月10日閲覧。
- ^ 「ウイークエンドジャーナル」『婦人生活』第35巻第5号、婦人生活社、1981年5月1日、147頁、NDLJP:2324614/71。
- ^ a b c 『クイズ!紳助くん』、朝日放送、2008年6月23日放送
- ^ 島田洋七・木村政雄 (2016年12月31日). “僕らが爆笑した「漫才コンビ」ベスト10を勝手にランキング!”. 現代ビジネスプレミアム. 講談社. p. 2. 2018年5月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年10月5日閲覧。
- ^ ビートたけし著『浅草キッド』太田出版、1988年、p206
- ^ 2008年6月23日放送『クイズ!紳助くん』(朝日放送)での島田紳助の発言に、ビートたけし著『浅草キッド』、206頁の記述を補足。
- ^ 週刊朝日、1980年8月22日号、p29、30
- ^ 放送批評、放送批評懇談会編、p8-13
- ^ 放送批評、p20-21
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 「《総力テーマワイド特集》 紳助・竜介ほか『ザ・マンザイ』のTVではわからない全内幕」『週刊現代』1981年1月22日号 pp.178-184、講談社。
- ^ “エンタツ・アチャコから知ってます、僕は。糸井重里 人生を変えた、 あの漫才。”. BRUTUS. マガジンハウス (2016年11月1日). 2020年3月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月21日閲覧。
- ^ 宇野昭(TBS)、千野栄彦(NET)、中島銀兵(NTV)、深町幸男(NHK)「特別企画 テレビ開局30年 第一線テレビマン座談会 『時代を画した「私は貝になりたい」、磯村さん、漫才ブーム』」『週刊読売』1982年5月23日号 pp.36-37、読売新聞社。
- ^ a b c d スポーツニッポン、2012年3月3日25面]
- ^ 漫才ブームで超多忙も安かったギャラ(芸能) ― スポニチ
- ^ ぼやいたるねん:笑芸つれづれ噺
- ^ 読売新聞大阪本社文化部(編)『上方放送お笑い史』 読売新聞社、1999年 pp.348-349
- ^ a b c 木村政雄『気がつけば、みんな吉本 全国“吉本化”戦略』勁文社、1995年、p13
- ^ a b c d e f 週刊新潮、1980年8月22日号、p96、97
- ^ 島田紳助 松本人志『哲学』、幻冬舎、2001年、p17 - 19
- 1 漫才ブームとは
- 2 漫才ブームの概要
- 3 芸能界への影響
- 4 代表的な漫才コンビ
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