浮浪者の救護へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/29 20:05 UTC 版)
「ヨゼフ・フロジャック」の記事における「浮浪者の救護へ」の解説
1945年(昭和20年)10月、北海道旅行の途中、上野駅地下道の両側を埋め尽くす浮浪者たちを見て診療活動を模索する。同年12月25日、医師・看護婦・修道女による「ベタニア巡回診療班」を組織し、行動を開始する。焼け残った忍岡学校の校舎が、厚生会館として浮浪者の収容所となっていたため、その一角に診療室を設置し、毎日150名程度を診療したのち、聖母病院の診療班と協力して上野駅地下道を巡回し浮浪者を診療した。翌1946年(昭和21年)4月には浅草教会付属幼稚園を借用し、改装して「浅草診療所」を開設した。このベタニア巡回診療班の活動は1947年(昭和22年)の2月まで続けられ、診療した浮浪者は20,000人を超えた。
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