河豚計画
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河豚計画(ふぐけいかく)とは、1930年代に日本で進められた、ユダヤ難民の移住計画である。1934年に鮎川義介が提唱した計画に始まるとされ、1938年の五相会議で政府の方針として定まった。実務面では、陸軍大佐安江仙弘、海軍大佐犬塚惟重らが主導した。ヨーロッパでの迫害から逃れたユダヤ人を満洲国に招き入れ、自治区を建設する計画であったが、ユダヤ人迫害を推進するドイツのナチ党との友好を深めるにつれて形骸化し、日独伊三国軍事同盟の締結や日独ともに対外戦争を開始したことによって実現性が無くなり頓挫した。
- ^ a b c d e f g h i j k l 標題:民族問題関係雑件/猶太人問題 第三巻 分割2 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B04013204500、民族問題関係雑件/猶太人問題 第三巻(I-4-6-0-010)(外務省外交史料館)」
- ^ 6 昭和12年12月2日から昭和19年7月25日 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B02031086600、各国ニ於ケル新聞、雑誌取締関係雑件/満洲国ノ部(A-3-5-083)(外務省外交史料館)」
- ^ 阪東 2002, pp. 37–38
- ^ “3月11日 第94回連絡会議(5・6画像目)”. 国立公文書館アジア歴史資料センター. 2021年10月6日閲覧。 “第二議題(※時局に伴ふ猶太人対策)一、本件は従来外資導入又は米英との関係維持等の必要より待遇を緩和しありしが今日は五相会議決定当時とは情勢一変しあり、元来猶太人は悪い奴故今後之を厳重に取締らんとする趣旨にして其の旨外務側より説明あり 二、要項第三項末尾「之を厚遇するも」は厚遇するに非ず之を厳選して適当の待遇を与ふべきなりとの意見あり、之に同意し修正決定 右に関し利用すべき猶太人とは如何なるものなりやとの質問あり之に対し「例へば開濼(?)炭鉱支配人の如きものなり」との応答ありしも少々利用し得べきものは敵側よりも同様利用せられあるべしとの意見にて厳選を要することとなれり”
- ^ “昭和17年3月11日 時局に伴ふ猶太人対策(2画像目)”. 国立公文書館アジア歴史資料センター. 2021年10月6日閲覧。
- ^ a b 岡部伸「日本、東南アジア占領地でユダヤ人保護 英傍受公電で裏付け」『産経新聞』、2023年1月29日。2023年2月21日閲覧。
- ^ 阿部 2002, p. 9
- ^ “歷史與空間:中國的「舒特拉」”. 文匯報 (2005年11月23日). 2014年12月12日閲覧。
- ^ “八十年前猶太人與日軍勾結的哈爾濱復國夢”. 中國評論通訊社 中国評論新聞網 (2009年7月20日). 2014年12月12日閲覧。
- ^ 内閣衆質一六四第一五五号 平成十八年三月二十四日 内閣総理大臣 小泉純一郎
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