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永田一脩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 07:36 UTC 版)

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永田一脩(ながた いっしゅう、1903年11月11日 - 1988年4月9日[1])は、日本戦前期の、前衛美術系およびプロレタリア美術系の画家写真家グラフィックデザイナー演劇にも携わる。本名永田一脩(ながた かずなが)。

経歴

福岡県門司市生まれ。1927年東京美術学校洋画科卒。労働美術家連盟、前衛芸術家同盟ナップに参加。1929年国際文化研究所に入り、『国際文化』を編集。1930年ナップの一斉検挙にあい、保釈後フリーで活動する。1941年東京日日新聞社入社、毎日新聞となり1958年まで勤務[2]

写真に関しては、1930年代に、写真評論などを『フォトタイムス』誌に執筆し、実作品も制作した。写真作品としては、フォトモンタージュを利用したシュルレアリスム的な作品が多い。瀧口修造が主催した「前衛写真協会」(1938年-?。1939年には、「写真造型研究会」に改称)の創立からの重要なメンバーの1人であった(他のメンバーは、阿部芳文、今井滋、田中雅夫など)。

戦後は、一転して、むしろ、山岳写真などを制作した。

主な作品

主な作品(写真)

  • 題名不詳、1930年代
    • 温泉に入っている男2人の写真で、一見、実物とともに、温泉のお湯に逆さまに映った2人の姿が撮影されているように見える。しかし、よく見ると、温泉のお湯に映っている姿が実物とは異なり(例えば、頭に載せた手ぬぐい)、フォトモンタージュであることが判明する。(下記文献「日本写真家事典」に掲載されている)

著書

  • 『プロレタリア絵画論』天人社 新芸術論システム 1930
  • 『空中写真測量』理研科学映画著作 写真編輯 科学主義工業社 1942
  • 『魚拓』芸美出版 1960
  • 『山釣り海釣り』山と渓谷社 山渓フォトシリーズ 1960
  • 『伊豆の旅 伊豆半島・伊豆七島』秋元書房 トラベル・シリーズ 1961
  • 『大物釣り』文芸春秋新社 1961 『大もの釣り』つり人社 1995
  • 『南紀の旅』秋元書房 トラベル・シリーズ 1963
  • 『入門山釣り海釣り』山と渓谷社 山渓文庫 1963
  • 『釣りの世界』ひかりのくに昭和出版 1964
  • 『日本の釣り』大泉書店 1965
    • 『新編・日本の釣り 写真集』津留崎健編 つり人社 つり人ノベルズ 1998
  • 『海釣り』保育社 カラーブックス 1966
  • 箱根富士五湖富士山 昭和44年度版』秋元書房 トラベル・シリーズ 1969
  • 『魚つりのすべて』ポプラ社 ポプラ・ブックス 1971
  • ドオミエ/クールベ/ゴッホ リアリズムのあけぼの』新日本出版社 1976
  • 『釣通ものしり読本』新人物往来社 1979
  • 『江戸時代からの釣り』新日本出版社 1987

翻訳

  • ニューホール『写真の歴史 1839年から現在まで』佐倉潤吾共訳 白揚社 1956
  • ハンス・ハス『海底旅行 七つの海の記録』岡田朝雄共訳 秋元書房 トラベル・シリーズ 1961

主要文献

関連項目

  1. ^ 『人物物故大年表』
  2. ^ 『現代日本人名録』1987年




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