死後のマールワール王国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/19 14:26 UTC 版)
「ジャスワント・シング」の記事における「死後のマールワール王国」の解説
アウラングゼーブはジャスワント・シングの死を聞くと、ジャスワント・シングの後継者がいないことに理由に直ちにその王国の併合を宣言した。 だが、ジャスワント・シングには妊娠中の妻がおり、同年2月19日に彼女は男子を出産し、彼はアジート・シングと名付けられた。この男子の相続権が帝国に請求されたが、アウラングゼーブはこれを認めず、ジャスワント・シングの兄アマル・シングのインドラ・シングに王位を与えた。 こうして、同年4月にアウラングゼーブがジズヤを復活したのも相まって、マールワール王国の住民らはドゥルガー・ダース・ラートールに率いられて蜂起し、メーワール王国の支援も受けて長期の戦闘に突入した(第二次ムガル・ラージプート戦争)。
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