死の島 (ベックリン)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/17 02:35 UTC 版)
『死の島』(しのしま、ドイツ語: Die Toteninsel)は、スイス出身の画家アルノルト・ベックリン(1827年 - 1901年)の代表作の絵画[1][注 1]。ベックリンは1880年から1886年の間にこの謎めいた主題で繰り返し作品を描いており、作品はそれぞれ少しずつ異なっている。20世紀半ばのヨーロッパでは非常に有名になった絵であり、ナボコフの小説「絶望」にも「ベルリンの家庭という家庭でみることができた」という記述があり[3]、郵便はがきのデザインとしてもたいへん人気があった[4]。フロイト、レーニン、クレマンソー、ラフマニノフ(交響詩『死の島』を作曲した)、ヘッセたちもこの絵を好んで飾っていたことで知られるが、この絵や作者のもつペシミズムや死のイメージはなかでもアドルフ・ヒトラーおよびナチスの理想と共鳴することになる[4]。
出典
- ^ ベックリンはスイスのドイツ語圏に生まれたが、有名になったのはドイツに出てきてからで、絵画の制作は主にイタリアで行われた。ベックリンが「ローマのドイツ人画家」と呼ばれたゆえんである[2]
- ^ こぎ手は船を近づけているのであって、離れているのではない。また島であることは大前提だ。こぐ人間の位置は岸辺から離れるときのそれだが、版によっては船のたてる波から前に進んでいるのだと受けとれるものがある[5]
- ^ ギュンターのヴァージョンが完成したおりに、ベックリンはこんな手紙を書いている。「...やっとdie Toteninsel(死者の島)が完成しました。とても印象的なものに仕上がったと思います」(“…Endlich ist die Toteninsel soweit fertig, dass ich glaube, sie werde einigermaßen den Eindruck machen…“)
- ^ ベックリンは明らかにこの題を安息の地という意味で用いた。この題は伯爵の70歳の誕生日を祝う祝福の電報にも示されている。「...幸運なる「墓の島」の所有者...」("…die glücklichen Besitzer der Gräberinsel...")
- ^ “デジタル大辞泉プラスの解説”. コトバンク. 2018年5月13日閲覧。
- ^ ツェルガー p. 96
- ^ Nabokov, Vladimir (1936; English translations 1937, 1965), Despair, p 56.
- ^ a b ツェルガー p. 84
- ^ Hubert, Locher (2004), "Arnold Böcklin: Die Toteninsel. Traumbild des 19. Jahrhunderts"; In: Kunsthistorische Arbeitsblätter [Translation: "Arnold Böcklin: The Isle of the Dead; Dream Image of the 19th Century"; In: Art History Worksheets], Zeitschrift für Studium und Hochschulkontakt; Issue 7/8, p. 71.
- ^ Culshaw, John (1949), Rachmaninov: The Man and his Music, pg 73.
- ^ ツェルガー p. 23
- ^ ツェルガー p. 40
- ^ ツェルガー p. 60
- ^ ツェルガー p. 66-68
- ^ ツェルガー p.84, p.90
- ^ 『日経おとなのOFF』2018年7月号、日経BPマーケティング、 72頁。
- ^ ツェルガー p. 64-65
- ^ Harrison, Max (2005), Rachmaninoff, Continuum International Publishing Group, pg 159.
- ^ a b ツェルガー p. 20
- ^ Halloween: An Epic Journey to The Isle of the Dead - RHAP.SO.DY IN WORDS
- 1 死の島 (ベックリン)とは
- 2 死の島 (ベックリン)の概要
- 3 参考文献
- 4 外部リンク
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