橋本ビブレからサティへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 03:23 UTC 版)
「イオン橋本店」の記事における「橋本ビブレからサティへ」の解説
そごうが出店を断念したため、マイカルが出店することとなり、橋本そごうの出店計画時より規模を縮小した上で、再開発ビル「橋本駅北口第一再開発ビル」を建設。核テナントとしてビブレが出店することとなり、マイカルにより橋本ビブレとして2000年(平成12年)3月4日に開業した。 当初は橋本ビブレとして出店したものの、バブル景気の崩壊などの影響もあり、大型店舗を多店舗展開してきたマイカルもまた経営不振に陥ることとなる。マイカルの店舗ブランドとしては、若者向けのファッションビル業態として始めたビブレと、ファミリー層向けに百貨店と総合スーパー (GMS) の中間的業態として「生活百貨店」を標榜して始めたサティがあった。しかし同じ神奈川県内の新百合ヶ丘ビブレや厚木ビブレ、大阪・千里ニュータウンの北千里ビブレ(現:イオン北千里店)など、郊外型店舗ではファミリー層が主要顧客となっており、橋本ビブレもこの例に漏れなかった。 ビブレとサティの業態の区別が曖昧になっていたため、マイカルは経営再建策の一環として店舗ブランドの再編を計画し、ビブレのうちファミリー層が多い郊外店舗はサティへの転換を計画していた。しかし、橋本ビブレ開業の翌年となる2001年(平成13年)9月14日、マイカルもまた民事再生法を申請して事実上経営破綻した。そのため、橋本ビブレはビブレからサティへ転換した最初の店舗となったが、業態転換はマイカルの経営破綻後となった。橋本ビブレはサティへの業態転換にあたり「全館売りつくしセール」を開催した上で、同年10月20日をもっていったん閉店し、6日後の10月26日から橋本サティとして営業を再開した。 なお、翌2003年2月27日には、橋本ビブレに続いて北千里ビブレが「北千里サティ」に転換している。 「ビブレ#沿革」、「ビブレ#サティを経てイオンに転換した店舗」、「過去に存在したマイカルの店舗#神奈川県」、および「サティ (チェーンストア)#概要」も参照
※この「橋本ビブレからサティへ」の解説は、「イオン橋本店」の解説の一部です。
「橋本ビブレからサティへ」を含む「イオン橋本店」の記事については、「イオン橋本店」の概要を参照ください。
- 橋本ビブレからサティへのページへのリンク