柄沢とし子
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柄沢 とし子(からさわ としこ、本名:松島 登志子(と志子とも)、1911年5月7日 - 2013年12月2日)は、日本の政治家、労働運動家。衆議院議員(日本共産党公認)を2期務めた。夫は日本共産党名誉幹部会委員の松島治重(1994年死去)。日本で最初に女性参政権が認められた、1946年総選挙で当選した日本最初の女性国会議員(39人)の一人。共産党女性国会議員第1号としても知られる。
- ^ a b 「女性国会議員第1号・95歳 松島(旧姓・柄沢)とし子さん/女性参政権行使から60年/人々に希望の灯をともす/党とともに歩んで」、2006年4月7日付「しんぶん赤旗」
- ^ a b c 『人事興信録 第15版 上』1948「柄澤とし子」
- ^ 1946年(昭和21年)8月24日衆議院議事速記録、帝国議会会議録、同25日付『官報』号外。
- ^ 「柄沢とし子さん100歳祝う/戦後入党、初の女性代議士/富山」、2011年5月10日付「しんぶん赤旗」
- ^ “柄沢と志子氏死去(元共産党衆院議員)”. 時事通信. (2013年12月3日). オリジナルの2013年12月7日時点におけるアーカイブ。
- ^ 『北海道自治関係職員録』1930、p343
- ^ 嶋田正策小伝 : 小林多喜二の親友, および社会運動家倉田稔 小樽商科大学人文研究, 79, p. 37-59, 1990-03-31
- ^ 山名正実コトバンク
- ^ a b 樺太・共産党・アイヌ -水落恒彦氏に聞く(1)-今西一ほか、小樽商科大学人文研究 (2012)
- ^ 『戦後期左翼人士群像』増山太助、つげ書房新社、2000、p53
- 1 柄沢とし子とは
- 2 柄沢とし子の概要
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