松井貞宗
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松井 貞宗(まつい さだむね、生没年不詳)は、戦国時代の武将。今川氏の家臣。松井宗能の子。遠江国堤城主。通称は八郎、山城守、兵庫助とも。
- ^ 大永8年3月28日付・松井八郎宛今川修理大夫判物写による(『静岡市史資料』「土佐國蠧簡集残篇」所載、以下「蠧簡集残篇」と略記)。
- ^ この時の古文書(判物写し)が資料上の初見とされる。同年月日で別に宗能が永正10年(1513年)に受けた新知・鎌田御厨領家分の貞宗への譲渡を了承する氏輝判物も存在する。またこの時の氏輝判物は女戦国大名とされる氏輝実母・寿桂尼に替わり、氏輝自身の出した判物の初見でもある。
- ^ 父・貞宗の家督相続が大永8年(1528年)であることからも、永正11年(1514年)二俣城主になったのは松井山城守某(実名は義行とも)とする異説がある。
- ^ 永禄2年2月22日付松井宗信宛今川氏真判物(「蠧簡集残篇」)。
- ^ 永禄6年10月21日付松井貞宗入道宛今川氏真判物(「蠧簡集残篇」)。
- ^ 実子の因幡守と同族相模守についての詳細は不明だが、遠江松井氏惣領分は信薫の子とされる松井宗親が継いだとされ、宗親はこの頃には内乱を起こしていた遠州曳馬城主・飯尾連龍への連座を疑われており、貞宗の隠居料および、これとは別の遠州内3箇所の知行を因幡守分の替地として与え、松井氏の綺の停止(ちょうじ)を氏真が指摘した点は注目される。
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