東作誌とは? わかりやすく解説

東作誌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/29 22:30 UTC 版)

東作誌(とうさくし)とは、正木輝雄が調査、著述、編集を行った美作国東部の地誌。『作陽誌』が扱わなかった東部六郡を扱う。


  1. ^ 天和2年(1682年)から元禄11年(1698年)までは、幕命により久米南条郡・久米北条郡が久米郡に、勝南郡・勝北郡が勝田郡に統合されていたため、双方五郡ずつである。加えて、分割された苫田郡が苫北郡・苫南郡・苫西郡・苫東郡と呼ばれたのはこの時期だけで、再び、苫北郡が東北条郡、苫東郡が東南条郡、苫南郡が西北条郡、苫西郡が西西条郡に戻されたため、正木の作成した東作誌では東南条郡・東北条郡・勝南郡・勝北郡・吉野郡・英田郡となって、両者で齟齬を生じている。


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