東京義塾とは? わかりやすく解説

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東京義塾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/29 09:02 UTC 版)

東京義塾(ドンキンぎじゅく; ベトナム語Đông Kinh Nghĩa Thụcドンキンギアトゥック)は、フランスの植民地体制下で、ベトナムの知識人層がベトナム社会の近代化および啓蒙を狙いとして資金を出し合い、1907年3月にハノイに設立した私立学校である[1]。ベトナムの歴史教科書において東京義塾は、教育施設として機能していた期間は非常に短いが歴史的に重要な役割を担ったものとして扱われている[2]


注釈

  1. ^ 「学会」とは、漢文(古典中国語)や儒学などの「旧学」ではなく、国語(クォックグー)や実学などの「新学」を教育する私立学校・私塾である[4]:193
  2. ^ なお、フランスがインドシナを植民地支配していた時代は、紅河デルタを中心とした北ベトナム全体も、フランス領インドシナの行政機構により、ハノイの旧名に由来する "Tonkin" と呼ばれていた[6]:104-106。このトンキンは、ベトナム語では「北圻」(Bắc Kỳ)と呼ぶ[2]

出典

  1. ^ a b c d e f g 桜井由躬雄「第五章植民地下のベトナム」『東南アジア史I 大陸部』(山川出版社、1999年)特に第三節 pp.321-333
  2. ^ a b c d e f g 『ベトナムの歴史(ベトナム中学校歴史教科書)』(明石書店、2008年)pp.501-503(8年生の歴史、20世紀始めから1918年までの反仏愛国運動)
  3. ^ a b c d e 蔣為文 (2010年). “二十世紀初台灣越南羅馬字文學運動比較”. 2016年11月27日閲覧。
  4. ^ a b c d e 白石昌也「二十世紀前半期ベトナムの民族運動」『植民地抵抗運動とナショナリズムの展開』(岩波書店、2002年)pp.189-212 所収。
  5. ^ a b c d e f g Nhà văn, Thiếu Sơn (2015年6月16日). “Một thiếu sót trong văn học sử Việt Nam: Đông Kinh Nghĩa Thục”. Chang Ta. 2018年3月6日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i 白石昌也『日本をめざしたベトナムの英雄と皇子』(彩流社、2012年)
  7. ^ 東京義塾における和製漢字熟語の学習”. 2016年11月27日閲覧。
  8. ^ 桜井由躬雄「第五章植民地下のベトナム」『東南アジア史I 大陸部』(山川出版社、1999年)特に第三節 pp.321-333( 『東南アジア史I 大陸部』山川出版社〈新版世界各国史5〉、1999年12月20日。ISBN 4-634-41350-7 
  9. ^ Nguyễn, Đình Hoà (1999). “the Association for Mutual Education (Hội Trí Tri) at 59 Fan Street”. From the City Inside the Red River: A Cultural Memoir. McFarland Publishing. ISBN 978-0786404988  p.76


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