曲直部 寿夫 (まなべ ひさお、1921年 9月28日 - 1996年 12月17日 )は日本 の心臓外科 医 、外科学者。大阪帝国大学 卒業。臓器移植 や人工臓器 の開発に力を注ぎ、日本の心臓外科手術の礎を作った。
生涯 1921年(大正10年)大阪府 生まれ[ 1] 。 大阪大学医学部 助手 であった1956年 (昭和31年)、ファロー四徴症 の手術において、日本国内最初の体外循環装置 を用いた心臓外科手術に成功[ 2] 。当時はもちろん体外循環装置を動かす臨床工学技士 はおらず、心臓外科医自身が人工心肺、充填液の処方、血液の用意などのシステム全体において責任があり、非常に困難な手術であった。
その後阪大教授 を経て1977年 (昭和52年)に国立循環器病研究センター 初代病院長[ 3] 、1983年 には同二代目総長に就任[ 4] 。1993年、勲一等瑞宝章 受章[ 5] 。大阪府立看護大学 長、日本移植学会会長などを務め、1996年12月17日、75歳で死去した。
脚注
関連項目 大阪公立大学 学長(大阪府立看護大学長:1994年 - 1996年)
事務取扱/校長 北村春吉 1947/1947-1951
大阪市立医学専門学校長 事務取扱 藤原九十郎 1944 小幡亀寿 1944-1947 事務取扱/校長 木下良順 1947-1948/1948-1949 滝内秋治 1949-1951 (旧制) 大阪市立医科大学長 事務取扱 小幡亀寿 1947 事務取扱/学長 木下良順 1947-1948/1948-1949 熊谷謙三郎 1949-1953 細谷雄二 1953-1957 鈴木清 1957-1961 (新制) 大阪市立医科大学長 熊谷謙三郎 1952-1953 細谷雄二 1953-1955
初代 恒藤恭 1949-1957 第2代 細谷雄二 1957-1960 第3代 福井孝治 1960-1963 第4代 渡瀬譲 1963-1971 第5代 森川晃卿 1971-1980 第6代 木村英一 1980-1986 第7代 崎山耕作 1986-1992 第8代 山本研二郎 1992-1998 第9代 児玉隆夫 1998-2004 第10代 金児曉嗣 2004-2010 第11代 西澤良記 2010-2016 第12代 荒川哲男 2016-2022 第13代 辰巳砂昌弘 2022-
大阪府立大学長
事務取扱/校長 仙田清吾 1944/1944-1951
大阪高等工業学校長 広瀬亜夫 1939-1941 事務取扱 光野重威 1941 河合定二 1941-1944 大阪工業専門学校長 河合定二 1944-1945 増山義雄 1945-1951
四宮恭二 1950-1959 職務代理 伊藤博 1959-1960 橋爪恭一 1960-1964 職務代理/学長 伊藤博 1964/1964-1970 職務代理 碓井隆次 1970-1971 重松俊明 1971-1977 岡村重夫 1977-
大阪府女子専門学校長 事務取扱/校長 滝村斐男 1924/1924-1927 事務取扱/校長 平林治徳 1927-1928/1928-1951 大阪女子大学長 平林治徳 1949-1959 雉本時哉 1949-1965 鈴木清 1965-1967 城野和三郎 1967-1973 渡瀬譲 1973-1978 湯川泰秀 1979-1983 川上忠雄 1983-1987 片桐洋一 1987-1991 上田正昭 1991-1997 中西進 1997-2001 丸山高司 2001-2005
大阪府立大学長
浪速大学長 総長 喜多源逸 1949-1952 心得 斎藤省三 1952 堀場信吉 1952-1955 大阪府立大学長 堀場信吉 1955-1956 並河功 1956-1960 赤崎繁 1960-1964 外山修 1964-1970 職務代理/学長 小野宗三郎 1970-1971/1971-1975 西山卯二郎 1975-1979 稲葉哲雄 1979-1983 畑四郎 1983-1987 矢吹萬壽 1987-1993 平紗多賀男 1993-1997 相賀一郎 1997-2001 南努 2001-2009 奥野武俊 2009-2015 辻󠄀洋 2015-2019 辰巳砂昌弘 2019-